ボロボロの自尊心とクタクタの靴②
働きだしてから
仲良くなった子がいた。
彼女は私より3つ年上で面倒見のいい
非常にキレイで自尊心の高い人だった。
自尊心というものとの初対面
そんな彼女がある時
転職を決めてそれまで働いていた職場を辞めたのだ。
仕事の最終日、50代くらいの上司が駅まで送ると言って車を出してくれたそうだ。
「助かります」
とお礼を言って乗り込んだ彼女だったが
気づくと車は駅とは逆方向に向かっている。
最初は、やんわりと
👱♀️「逆ですよ?方向間違ってますよ。」
と伝えたのだが車はどんどん走り続けた。
そして止まった先がなんと、ラブホテルの前だったのだ。
上司の人は
👨💼「ずっとずっと好きだった、1回だけでいいから。思い出にするから。」
と懇願してきた。
それを聞いて彼女は激怒したのだ。
👱♀️「二度と連絡しないでください、次こんなことしたら奥さんに言いますから。」
と伝え車を降りたとの話だった。
その時、私は衝撃を受けたのだ。
👩🦰(え、断ったの?すごい。。。キレて帰ってきたって。。。?本当に?‥そんなこと出来るの?)
それまで私は嫌だったら嫌だと断れるなんて、考えたこともなかったからだ。
そもそも私の家では異論は通らなかった。
親は絶対で小さい時から嫌を主張しても通らなかったので、諦めて言う通り行う。
嫌だと言ってもやるまで怒るので
結局嫌な思いをするのは私で
親の言う通りが基本スタンスになっていて
それは行動の基準みたいな感じになっていた。
いつからか怒られて
「お前はいらない」
と突き放されるのが怖いから
やりたくないけど
先回りして終わらせて
ありがとうと言われる。
嫌だけどやる。
それが基本スタイルだった。
言われたらやらなければならない。
言われたことは絶対。だったのだ。
なので
断れない状況に追い込まれるようなことは極力避けていたし
男性といるときはいつも逃げ道の確保は必須だった。入り口のドアの位置はいつも確認していた。
👩🦰〈男はなにをするかわからないのだから。〉
男性は
それまでの経験から本当に苦手だったので(父親はモラハラだったし叔父たちはセクハラだった。痴漢には遭うし、当時の私に寄ってくる人は性的な目で見てくる人が多く怖いことばかりだった)
そのうえ嫌だという雰囲気をだして
「だったらいいよ」
と突き放されるのがさらに怖かったのだ。
そんなこともできないお前はいらないと言われているのに等しかった。
それは相手が誰であれ関係ない。
拒絶されるのが一番嫌だったし怖かった。
矛盾している。
が、そうだったのだ。
私なら車には絶対乗らなかっただろうなと思うものの
仮に断りきれず
彼女と同じ状況になっていたとしたら
私は、
諦めて腹をくくって好きでもない50代の上司に抱かれただろうなと思って背筋が寒くなったのだ。
嫌でも我慢する。
数時間我慢したら解放されるのだから。
いつだってそうだったのだから。
それは本当に私にとって衝撃的な話だった。
ほどなくして
同じような状況に追い込まれた。
それなりに大丈夫だろうと安心していた人だったため、
どうしたら逃げられるか
本当にピンチだったが
(一回は諦めて行為に及ぶか真剣に考えた。)
さすがに無理。
いやだと断って
車から降りた私は
震えながら
👩🦰〈断っていいんだ〉
と教えてくれた彼女に感謝した。
そんな日常の中私の夢は早くおばさんになることだった。
早く性の対象から抜け出したいと心底思っていた。