アダルトチルドレン・愛がわからない原因②
ちょっと話を戻して続き。
そんな日々が繰り返される中、幼稚園年少のときに事件が起きた。
その頃には私はどうせ私はいらない子なんだとかなり真剣に思っていた。
姉妹でケンカをすると理由は聞かれることなくお姉ちゃんだからと怒られるのはいつも私だったし。
クリスマスプレゼントもなぜか妹は可愛いぬいぐるみをもらっていたのに私は図鑑だったのだ。興味がなさすぎて何の図鑑かも覚えてない。もちろん欲しいと言った覚えはない。
自転車も妹は叔父からその当時人気のキャラクターが描かれた補助輪付きの立派なものをもらっていたが私はなぜか近所の保育園のバザーでぼろぼろの自転車を200円で売っていたものを買ってもらった。
前の年もクリスマスのプレゼントは
大きな差があって
私はなぜか毎回欲しいものをもらえなかった。
純粋に思い返しても謎なのだが。
親はそれほどまでに私に興味がなかったのだろうか。
そんなことが重なって母が私のために作ってくれた小さなバッグにお友達のおうちからおもちゃを持って帰ってきてしまったのだ。
母が私のために小さなバッグを作ってくれたことが本当に嬉しくて、それは私の大のお気に入りになった。毎日毎回幼稚園から帰ると持ち歩いた。私のために作ってくれたこと。それが本当に嬉しかったのだ。
母はいつも私より妹を可愛がっていたと感じていたから。
私のために。
それが本当に嬉しかった。
そしてある時お友達のお家に遊びに行ったとき、おもちゃを間違えて持って帰ってきてしまった。
なんとなく言い出せなくてそのままになってしまったがうちでは決して買ってもらえなかったおもちゃ。
最初は間違えてだったのだが
そのうちに色々なお宅に遊びに行って色々持ち帰ってくるようになった。
幼いながらによくないことなのはわかっていた。でも欲しかった。欲しいものは買ってもらえなかったし。
3ヶ月〜半年くらい経ってからのこと。
ある日幼稚園から家に帰ると
母親がすごく怖い顔をしていて
「ちょっとこっちに来なさい。」
ただならぬ雰囲気に怯えた。
家に入ると平日の15時くらいなのに父親もいた。
お気に入りのバッグがそこにはあって、
母「このバッグの中身は一体どうしたの。」
怖すぎて凍りついていると。
父親からぶん殴られた。
父「お前は人様のものに手を出すのか!」
母親に大泣きされて
私は本当に本当に悪い子なんだと思った。
何時間怒られただろう。
意識が朦朧とする中
👩🦰「お母さんをこんなにも泣かせて私って本当にダメな子なんだな。」
そう強く思った。
罪悪感。
それが心の中を占めた。
泣きすぎて
叩かれすぎて
疲れ果てた中
母親に夜に自転車の後ろに乗せられて
一軒一軒おもちゃを返しに行って
頭を下げてお友達とお友達のお母さんに
泣きながら謝った。
母は悪くないのに私のせいで泣きながら謝っていてそれが一番心にこたえた。
私はなんて悪い子なのだろう。
父親は怒るだけ怒って、一緒に謝りに行ってはくれなかった。面倒なことはいつだって母に押し付けるのだ。
したことは良くないこと。
でも、どうしてそうなったのかもうちょっとちゃんと聞いて欲しかった。殴る前に。
私はただいつも満たされなくて淋しかったのだ。
この件は苦い思い出として。
そして大きな罪悪感をもたらした。
私はどうしようもない子なのだと。
その後は罪悪感がずっと付いて回るようになった。
大人になってから読んで泣けた。したことはよくない。でも私はあの時4歳だった。完全に愛情不足だった。
妹と色々と差がありすぎて
その頃には確実に私は拾った子なのだろうなと思っていた。何かにつけて怒られるのはいつも私だったのもある。
いらない子の私が大人になるまで生き残るには親の役に立つしかない。
その盗みの一件以来余計にそう思うようになったし罪悪感を埋めるためにも一生懸命動いた。
お手伝いはできるだけやったし
怒られないように動くのがくせになり
なにもかもが億劫になるようになった。
親に言われたことは100パーセントこなす。
その反面自分で判断して動くのは苦手になった。
何をしたって怒られるのだ。
でもどうせ怒られるくらいなら最小限にとどめたかった。
そうなると自発的に動くのはありえなかった。
わたしの意見は通らなかったからだ。意見を通して怒られるとダメージが大きかった。
意見は言うだけ無駄で言われた通り動くのが一番楽だった。
そして、言われた通りやってそれでも怒られたらそれは私のせいではない。
被害者意識が出来上がるのはこの思考回路と思う。
誰かのせいにするのは良くないことだ。
しかし、幼い頃から責められ続けるとこの思考回路が一番身を守る手段として有効なのだと思う。
何をしても怒られるならば
せめて言われた通りにやって
それで怒られるなら親のせいにできる。
一番被害が最小限に抑えられるのは理解できると思う。
しかし、
自分の意思より親の意見に従い
その通りやるようになると何一つ楽しくないし、全てが億劫で面倒になる。
生きてることも。
それはそうだ。
自分の意思はそこに何一つないのだから。
朝起きるとまた1日が始まったとうんざりした。
小学1年にはそう思っていた。
何よりの弊害は誰かの許可を取らないと動けなくなったことだった。
大人になってからも誰かの許可を取らないと動けないのだ。
指示待ち人間の形成は幼い頃の親の恐怖政治の結果であると思う。
父があれだけ無気力で批判的で被害者意識の塊なのはこのプロセスを経てなったのだろう。
そしてそこから抜け出せなかったのだ。
私も父と変わらず
負の連鎖に組み込まれたのだった。
家族すら敵で攻撃に耐えるためにいつも気をはっていた。 安心感とは無縁で愛なんて考えたこともなかった。
過干渉と罪悪感と否定と暴言。
それが私の日常だった。