こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

アダルトチルドレン☆隠蔽体質だった過去の私。

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今日は昔の話。

アダルトチルドレンまっしぐらの頃。いつも追われるように生きていた。アダルトチルドレンのみんながみんなそうではないかもしれない。でも少なくとも私の周りは隠蔽体質というか、庇い合いみたいな傾向が非常に強かった。

 

「親から怒鳴られたり、嫌な顔されたり、受け入れてもらえないのが怖いから言えない。一人で抱え込んで隠して恐怖には一人で耐える。」

この幼い頃に形成したこの精神構造が全てをマイナスに、ネガティブなものにしていた。怒られたり何かがあると自分の悪いところを責めるのが日課のようになっていておかげで落ち込みやすく、なにかいつも後ろ暗いものを感じながら生きてきた。

 

大体悪いことは何にもしていないのに、自分に全く自信が持てない。そればかりか電話が鳴ること異様に怖かった。

 

というのも、なにも悪いことをしてないのに電話がかかってくるとドキッとするのだ。

「学校の先生からで私がなにかしたって内容だたらどうしよう。」とか、「警察からで私が悪い子だから逮捕するって話だったらどうしよう。」とか本当にありもしないことにいつも不安になっていた。親が電話に出て誰かと話し始めるまでその不安は続いた。

 

思えば常に人より劣っているという感覚がありこの感覚から抜け出すのに長い長い時間と労力を必要とした。

 

 

なんでこんな面倒なところに生まれたんだろう。

もっと明るい場所に生まれたらこんな精神構造にはならなかったのに!

こんな苦労はしなかったのに!

なんども嘆いたけれど、生まれた以上後の祭りだった。(明るい場所に生まれたかったなーは今も思う。)

 

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それすら学びなのは理解しているし、きっとどこかの過去世で自分がこしらえたカルマの解消のためだろう。要するに自業自得なわけだけれどたまにやりきれなくて悲しみに転落することがある。だってマイナスに傾きすぎだよ。

 

もちろん、そんな感情に転落した時はすかさず感情の解放をする。が、抱え込んだネガティブな感情は根深すぎて繰り返し繰り返し上がってくる。何十回と解放を繰り返しているけれど、それでもまだいたか!というくらいたくさんいて気が遠くなる。多分プラスに転じるまでは時間がかかるのだろう。

 

この謎の隠蔽体質は本当に今思うと普通じゃなかった。でも当時は当たり前だった。

今思い返すと色々おかしいのがわかるのだが異常が正常になってしまうとなかなか気づけない。

 

そもそも、全てのスタートは頭ごなしに体罰ありで怒られることが原因だと思う。私の育った家庭はもちろん体罰可だったので頭やお尻を叩かれるのは日常茶飯事で、帰りが遅いと鍵をかけて家から締め出されたし親の言うことを聞かないという理由から置き去りにされたりはザラだった。

 

⚫︎やらなければ叩かれる。

⚫︎言うことを聞かないと叩かれる。

⚫︎うるさくすると恫喝される。

⚫︎親は絶対。

 

など、おおよそ今から考えられない環境だったなと思う。(ペットすら叩かないわ。)親から気持ちに寄り添われた経験がなさすぎて困ったことや悲しいこと、必然的にどうしたらいいかわからないことを相談する対象に親はならなかった。

迷惑をかけたらキレられるので、何かがあっても言えなくなった。

 

その結果、困ってはいても助けて欲しくても言うとなにはともあれ叩かれる&怒られるからただただ黙って隠して涼しい顔をし、自力でなんとかするというのが基本スタイルになった。

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そしてその結果、怒る=理不尽という図式が私の中で出来上がり怒られることを極端に避ける&私自身は正統なときにも人には怒れないようになった。

これが結果的に都合のいい女として扱われ、自分の価値が理解できないため不当に扱われるのが正常という感覚になった。

人としての尊厳が理解できないのだ。

 

自分がそんなのだから周りにいる人も引き寄せの法則そのままに病んでる人やちょっと頭がおかしい人、堕胎を繰り返す人、借金やギャンブルを繰り返す破綻した人が多かった。

 

でも、ダメだよって言えないし、嫌だって言えないし、自分が困った状態でも涼しい顔をしているしかなかった。生き辛さはマックスだったけれど周りもみんなそんな感じのなにか後ろ暗い人が多かったしみんな傷だらけだったから隠蔽体質なのはわかっていたけれど庇うことしかできなかった。

 

とにかく全てが異常だったと思う。

隠すことで何かが解決することは絶対にない。でも受け入れてもらえないこと、一緒に寄り添ってくれないことが始めからほぼ確定されている中で隠すことなく伝えるほどのメンタルが私にはなかった。

解決に導いてくれるのならばまだなんとかなるだろう。でもその信頼できるという感覚が私には全く持てなかったし、信頼できるとはこういうことか!と学んだのも30歳をすぎてからだ。

 

そのくらい周りに何があっても絶対的に信頼できる人がいなかった。そのため信頼の意味がわからなかったのだ。

 

それが当時の思考回路だったから、傷ついている人や劣等感が激しいと変なところで悔しさが出てしまうのは理解できる。

 

なにかのタイミングで自慢してしまってたり、常に自分と人を無意識で比べて自分のダメさを確認しているため人にこれ以上傷つけられないように予防線を張り過ぎてしまったりと周りからは煙たがられるし、面倒な人と思われる。

 

それが辛いのを体感しているために、余計に面倒な人が自分と重なって放って置けなくなるのだ。

 

父が世捨て人みたいな変なおばあちゃんと家族より仲良くしたり、当時の私が底辺と言われる人と積極的に仲良くしてしまうのもそれが原因だったと思う。自分の心の闇がそうさせたのだった。心とは本当に不思議なものだと思う。