うちは全員回避型アダルトチルドレンの一家。
今日の記事は波動低いので要注意☆
父がボケてきてるみたいと母から言われた。
父は祖父そっくりで頑固で人の話を聞かない。
最近は人を避けてるように生きている。昼夜逆転の生活を送り、人に会うことを嫌う。母親の目にはお迎えが来るのをまっているように映よう。
父は体調が悪くても動物のように丸まってひたすら耐える。痛いとか苦しいとか言わない。心配されるとキレるので周りは手を貸しようがない。
しかし、父だけでなく悲しいことにうちの家族は全員自己主張が苦手だ。どこかで「自分さえ我慢してなんとかなるなら我慢しよう…。」という思考回路がみんなにある。
体調が悪くても言えないし、助けて欲しくても助けてと言えない環境で育ってきたからだ。親の手を煩わせると怒られるので
⚫︎ひたすら我慢する。
⚫︎一人で耐える。
⚫︎助けてはもらえない。
そんな思考回路が出来上がった。
助けてと言って親から拒絶された私が他人から助けてもらえるわけがない。拒絶されるのが怖いのだ。私自身親の手を煩わせると怒られて嫌だったので幼い頃から嫌な顔をされたくなくて、お願い出来なかったしいつも不安は自分一人でなんとかしなければならなかった。拒絶されて絶望するくらいなら一人でいい。人に頼ることはいつからかやめてしまった。
モラハラですぐキレる父親と何も言えない母親。私も、両親も育った環境は同じだった。
父は今も幼い頃家庭で学んだ通り、誰にも相談できず、頼れず、もう一人で死ぬのを待っているのだろう。
こうやって文字にすると悲しみがこみ上げてきてどうにもならない。どうしてこんなに負の連鎖が続いてしまうのだろう。助けてあげたいけれど拗らせた60代を助ける方法が私には見当たらない。
そんな私も昔は頑固でこだわりが強く、人の意見を取り入れるのが苦手だった。父そっくりだ。
そもそも、そういった頑固な側面は幼少期の育ちに全て起因すると思う。父も、祖父も長男だった。父は下に3人兄弟がいるので親ではなく祖母に育てられた。
甘やかされて育ったというがなんというかやはり親の愛が足りなかったのだと見ていて思う。物やお金はたくさん与えられたようだが、圧倒的に寄り添ってもらう経験や受け入れてもらう経験。そう、愛が足りなかったのだ。
父は人の愛し方を知らない。なので可愛いと意地悪し、からかう。それが父なりの愛し方だった。小学生の男の子が好きな女の子に構うそれそのものだった。
観察しているとわかるが、彼は気を使いすぎてしまい人と一緒に長時間いるのが苦手なのだ。
私もそうだったからわかる。
怒られないように、周りを不快にしないように、空気を読んで周りに調子を合わせる。だから疲れ果ててしまい家族すら気が休まらない。
私は長女だったのであれしろこれしろと要求されることが多い割に、お姉ちゃんなんだから我慢しなさいと妹みたいに満足には甘えられなかった。
⚫︎早く自立すること。
⚫︎親の役に立つこと。
それが私に求められていることだった。
ただでさえ可愛がられないのに、それを嫌だと断れる訳がない。冷めてて大人びてて可愛くない子と言われることは慣れていたけれど、私に子供らしさを求めていなかったのは大人の方だったと思う。
言われたことをこなすばかりでお陰で疲れてしまうし、怒られてばかりで面白くなくて早く一人になりたいと思ってしまう。妹がいつも羨ましかったのだけれど、それは悔しくて言えないからつい妹に意地悪してしまいケンカばかりしていた。結果
⚫︎冷めてて可愛くない子
⚫︎扱い辛い子
⚫︎ケンカして怒られるのは私
利点は一個もなかった。
大人になってからは知り合いにはやたら気を使いすぎて疲れるので(要求には全て答えないと居場所がなくなると潜在的におもっているため)、
⚫︎全く自分を知らない初めてあった人といるのが一番楽。(私を知らないから、自由に振る舞える)
⚫︎何度か会って知り合いになるとまた気を使い出すので疲れてしまう。
全く知らない人を探して仲良くするという謎の行動を繰り返していた。(出会い厨にも多分コレの人は多いと思う。)
私が買い物で浪費を繰り返したのも、父がギャンブルを繰り返すのも、人に尽くしすぎてしまうのも全て劣等感からきているのだ。
さらにその奥にあるのは慢性的に自分は自分のままでは愛されないという想いだった。
父方は皆、他人を褒めることはなく否定を繰り返していたが、あれも人を否定することで自分を保っているのだろう。すべてが悪循環なのだ。自分が確立できない環境で育ち、その酷い環境を基準にした世間体でしか物事が測れない人間に育つ。
だから頭がいいことがうちでは重視されたのだろう。私も妹も父から頭が悪い、馬鹿だと大人になるまで言われ続けた。さぞかし出来の悪い娘二人に囲まれて残念だったことだろう。
世界中全ての人が愛されたいから色々な問題を引き起こす。
着飾るのも、いい会社に入ってたくさん稼ぐのもモテたいからでそのままの自分で愛されると思えないからだ。付加価値をつけることでスペックをあげることに躍起になる。
でも、本当はそんなことは決してないのだ。人はただ今そこに生きているだけで素晴らしい。それは今、私が一番よくわかっている。
劣等感や自己否定で人生がいい方へいくことはなかったし、そもそも劣等感なんてものがおかしいのだ。全ては個性であるし、優劣をつけるものではない。自分らしく生きる権利が人間だけでなく全ての生き物にあると思う。
さっき、母親に会って父の愚痴を聞きながらも数年前より変化してきているなと感じた。
本当は夫婦の問題なのに、それを私たち子供の問題として置き換えられ続けてきたけれど母自体も自分たちに問題があったことに少しは気づいてきたようだ。
今私にできることは、
⚫︎来世少しでも両親がいい場所からスタート出来るように手助けをすること。
⚫︎今世家族なのだから最後まで父親も含めて仲良く暮らすことを諦めないこと。
その二つだなと改めて感じた。
これを読んでる毒親育ちの方は、自分を癒し、負の感情を解放することから始めてほしい。親と決別したっていいんだから。まずは自分を幸せにしてあげてほしい。
どんなに時間がかかっても必ず光が見えて来る。私がそうであったように。