体感波動☆低い波動の場所で結構参った話。
今日も謎の話。
またまた久々に数日間販売で百貨店へ。
誘っていただけるのは本当に嬉しい。
しかし、期間中2.3日しか入らないので戦力にならず申し訳ないのだが…もう波動が合わなすぎて長期は無理なのだ。ゲームじゃないけれどその場にいるだけでHPが減るし、疲れ果てるため……レジのパートに支障が出ない程度となると2.3日が精一杯。休み希望もたくさんは出せないし…。
さて今回前々からそうじゃないか?と薄々感じていたことにはっきり気づいた。
これ、結構問題だなあ…。。。。
親や生まれ育った地域、周りも含めて基本的に波動は低い。
それは今さらなので大丈夫。
住む地域が近いと、ある程度魂の色が似ているようで似たり寄ったりの波動になるためか数人集まったところで違和感がそこまでない。そのためある程度違和感もなく対応ができてきた。
しかし、今回の販売で薄々感じていたことがはっきりした。職場はいろんな地域から集まってくる人たちの集まり。魂の性質がかなり違うことが結構な割合である。それに気づいた。
きっかけは、一緒に働いているスタッフとマネージャー。
低い波動の場では基本的に蓄えたエネルギーを放出しながらその場にいることになるため、HPは減り続ける。スマホの充電が1日でどんどん減るのと同じ。ただ、自分と同じような波動の場所にいるよりやはり減りが早い。そして充電できる場所が基本的にないがきつい。(人間だけど。)
そうした自分の波動より低い波動の場では人と接すると相手にほぼ強制的にエネルギーが流れるので基本能力を高める訓練をしないと私の場合夕方には鬱で死にそうに。(充電10%切るあたりになると鬱に見舞われる。)
しかし、私の場合パートナーが本気でもともと縁のない人。そのご縁を無理矢理繋いできたこともあってだいぶ死にそうになりながら魂の開発&合わない波動に合わせる訓練をするはめになり、対応波動の幅がかなり広がったようなのだ…。(ちなみに、ご縁なくても結べます。人間、本気でやれば不可能はないみたい。。。)
そんな感じでかなりの荒業をしてきたので最近は鬱には転落しない程度まで訓練されてきていて。低い波動に一日中いても鬱にはならなくなってきたのだけれど…。基本能力が上がって余裕が出たことで別の気付きがあったのだった。
さてまず、今回一緒に働いてるDさん。
久々にDさんに会うと、エネルギーの流出と強い圧力がかかってくる。二つが相まって急激に起きるためソワソワ、ふわふわする。
しかし一時間もするとなんとなく合わせられるように。
しかし、それも低い波動で安定するためこちらの気が下がり外圧に敏感になるのだろう。別の波動の人に会ったときにそれは起きるのだった。
元々波動が低い場所で、全く合わない波動の人が二人来るともうお手上げ!
波動の系統が違いすぎて適応できず二人には合わせられないし、二人揃うとあまりの気持ち悪さにゴミ捨てを口実にソッとその場を離れることに。
今回友達でも仲がいいわけでもない人が波動の低い場所で2.3人集まるとこちらはかなりきつい状況になるのだと身をもって体感した。
しかし、その場にいる人たちはみんな魂の学び速度が今は同じ学年の波動なので周波数が違っても話が合わないなとか気が合わないな…というくらいの感じで処理されている様子。あんなに周波数が合わないのに仕事繋がりで対応しているわけだから凄いなあ。
私はありがたいことに色々感じるので、
今後同じような状況になった時にどう対処するのかを新たに学ぼうと思うのだった。
思いやりにかける人の人格形成☆私の育ちと優しくない人に育った原因。
元・優しくない人の私が解説する。
いま、大人になり大分世の中的に普通と言われる感覚を30半ばをすぎてやっと身につけてきたのだが。
昨日、久しぶりに家族がうちに集まって本当に疲れ果ててしまった。どうしたら現状を変えられるのだろう…。優しくない人というのはその人単体の問題ではなく周りの環境と人間関係が複雑に絡み合って形成されるものだと思う。
私も思い返すと本当に優しくない人だったと思う。
学生時代の私とは私自身友達にはなりたくないし、やたら大人びた上にひねくれた可愛くない子だった。妹も昔の自分とは友達にはなりたくないとたま話している。とはいえ私たちは可哀想なくらいいつもなにかが足りなくて枯渇に苦しむ日々だった。助けてくれたり庇護してくれる人はいなかったから。
紆余曲折して、ようやく満たされたが最近理解できるようになってきた。これを獲得するまでに恐ろしいほど長い時間の矯正をしてきた。
そんな私が今だから振り返れる優しくない人や自分勝手な性格がなぜ形成されるのかを書いてみようと思う。
一番の原因は常に搾取される日々だろう。
正常な家庭で育った人にはこれは決して理解されることはないと思う。私も妹も子供時代と言われるものは思い返すとほとんどなかった。親という名の子供に育ててもらった子供だからだ。
親は常に私たちと同レベルだった。
イライラしたときは当たり散らされるし、いうことを聞かなくて腹が立つと暴力に訴えるか報復行為をされた。大人だからと一歩引いて諭したり叱ったりはなく感情のままに殴られるか罵られるか、バカにされるかだった。
ただ、歳を重ねて身体的には大人だけれどその実中身が全く育っておらず子供のままの大人だったのだ。
親自身、その親(私からみた祖父母)からの怒りが支配する家庭に育ち、殴られたり怒鳴られたりしないようにいつも親の顔色を伺いながら育ったのだった。それがただただ負の連鎖として私たちにも回ってきただけだ。
されてきたことに疑問を感じることなくそのまま私たちにしたのだから別にそれはむしろ正常なことだったのだ。
↑よく考えると異常。
そんな異常なことが私たちの家庭内では当たり前なのだから、異常=正常な常識となる。
むちゃくちゃな常識だったけれど当たり前すぎて誰も疑わなかった。親だから言う、愛があるから叩いている、そう言われるとそれが愛だと思っていた。大人になってからかなり異常だったんだと気づいたけれど、それは常識なんか場所に寄ってコロコロ変わるもので常識なんかないんだと強く思うきっかけになった。
このほかにも親が貯金箱からお金を借りていき返済されなかったり、思春期にかけて太ればブスだのデブだの罵られるのはいつものことだった。可愛げがない子とよく言われたけれど…、いつも破壊行為や恐怖政治を強いられるのにどうやったらあの環境で可愛い子が育つのだろう?
私はいつも親の顔色を伺う可愛げのないひねくれた子に必然育った。褒められた記憶はどんなに思い返しても見当たらなかった。
この話の一番恐ろしいところは元を正せば全員が被害者ってこと。
親もその親からされてきたことをしているだけなので関わる人全員が愛がわからない、優しさを学ぶ機会を逃した被害者なのだ。正常な状態を学ぶ機会が与えられず大人になると親のように加害者になる。
このことに気づいてしまうと悲しくなる。
全く関係ない正常家庭で育った人たちは関わらない選択が一番だし、優しくない人=可哀想な人なのだと思って離れたらいいのだと思う。
けれど私のようなそこで育ってきた人間には、優しくない人たちがなぜそうなったのか、優しするやり方を知らない気持ちがわかるし、優しくない人自身が一番愛が足りない状態なこともよくわかる。
そこで倫理感に照らし合わせるとやることはたった一つしかない。優しくない人に愛を傾けること。それだけだ。
優しさに気づけるか気づけないかは相手の素養にかかっているけれど私の場合は今世家族な以上やるしかない。宿命は変えられないし、さらに深く掘り下げると私がどこかの過去世で撒いたカルマの回収が今なのだったら周りの人の学びを手助けしたい。そうすれば来世きっとみんな少しだけ今より幸せになれるからだ。
さて、この話を書こうと思った事の発端は昨日の餃子パーティー。
休みの日の当日の朝にいきなりうちにみんな集合することになり夕飯を食べることに。
いきなり来るから予定返上で掃除洗濯に追われ、ひと段落した頃、LINEでいきなり餃子を作ろう!と言う流れに。
ええ…餃子…。
何時に集合?と聞いても時間は決まらずとにかく子供がいるので床が汚れないようにレジャーシートをひいて来るのを待つ。
やっと集合したのが17時半。
みんな時間とかこっちの準備には興味がない。
そこから誰が餃子を作るのかと思えば全員テレビ見ている。
やはり私がやるのか…。
私一人で餃子の種を仕上げて19時。
お風呂に入って帰りたいというからその合間に慌てて風呂の準備。
包むところだけみんなお手伝い。
その後すぐに子供のお腹すいたコールが始まり、
慌てて焼く←もちろん私。
焼けたところから私以外のみんなはテレビ見ながらご飯スタート。←私は一人キッチンで焼き続ける。
私が食べてないことにはみんな無関心なので…
焼きながら私は一人でキッチンでご飯食べる。
…やっと終わって果物を出したらみんなほとんど食べきられて私の分ない。
子供たちが遊ぼうと騒ぐ。疲れたから誰か遊んであげてくれないかな…大人は全員無視してテレビ見ている。
結局私が一人で子供たちと遊ぶ。
…なんて、優しくない環境なんだろう…。。
まあ、思い返せば昔からこうだったよなあ…。思い返せば母もずっとそうやって一人でキッチンに立っていたなあ。それが当たり前すぎて、助け合ったり料理が仕上がるのを待って全員で食卓を囲むことがうちにはなかったなあ。。
色々反省もある。でもなにをどう改善したらいいのかわからない。どう伝えたら伝わるのかもわからない。
せめて子供たちが少しでも昔の私みたいにならないように向き合って行きたい。二人には大事だよ、大好きだよと伝えたい。
しかしどうしたら…、歯痒い思いをしながらも結局やることは諭したりキレたりすることではなく親切に優しく真摯に向き合うこと。それ以外思い浮かばない。
これが優しくない環境で育ち、優しくない人格が出来上がるということなのだろう。事実だけ羅列するとやはり結構ひどいな笑。
休みが一日返上になり、餃子を仕上げてクタクタになったのだった。
懸賞当選品、頂き物、お金。循環を起こすとたくさん入ってくる話②
前回の続き。
前回、頂き物などの物で循環を起こした際に起きる物質的な変化について書いた。今回は物質ではなく人間関係の点について書いてみる。
※こちらは本当に自分との戦いになるのでイライラしたら負けになる。
人に関する好循環は物質といった形のない物になるのでお金や物がもらえるわけではない。しかし物質的に満たされるよりも人間関係に恵まれることは幸福度がかなり高いと感じる。嫌な人がいないのだからほぼストレスフリーになると言える。ただし、サイクルを好循環に切り替えるまでかなりの忍耐力が必要になる。
では、人間関係に良い循環を起こすには具体的にどうすればいいか。
いい循環を起こすには、自分から優しさの連鎖をスタートさせること。これしかない。
優しい種を撒き続けて優しさを回収しつづけるスパイラルに切り替えるのだ。
意味がわからない人のために具体的に書く。
私の場合今回の職場の人間関係を好循環のスパイラルに乗せるまで9月〜翌1月までの5ヶ月を有した。
私はブログを頻繁に読んでくれている方は知っていると思うが、最近私はスーパーのレジで仕事をしている。
レジには本当に色々な人が来る。
意地悪な人もいるし、細かい人や訳の分からないことを言う人、いきなりキレる感じの悪い人ももちろんいる。でもそこでこちらが怒ったり無視したりしたら優しさの種をまくことにはならない。それだと収穫期は永遠に来ないからだ。
レジパートは9月からスタートしたわけだが。最初の頃波動酔いに死にそうになりながら、とにかく優しさの種を撒き続けた。どうするかというと、意地悪な人や優しくない人にほど、念入りに優しく接するのだ。
↑こんな人たちが初めの頃はわんさかいた。
実際のところ観察から分析すると大抵の場合嫌な人、意地悪な人、感じ悪い人はみんな根っこの部分を掘り返すと優しさや愛を忘れた傷ついた人なのだ。人は自分の痛みや苦しみが多すぎると自分を守ることに精一杯になり優しさがいなくなるからだ。それに気づくと可哀想な人なのだと理解できるようになった。
しかしこちらも人間。
嫌な人に丁寧にするわけだから普通の人に接するより疲れるし悲しいし、なんでこんなに意地悪なのだろうとエネルギーを吸われすぎて疲れ果て泣きながら帰る日もあった。(泣くと結構回復する。)
それでも優しくありつづける。
毎日毎日無下にされながら、暴言吐かれたりしながらも笑顔で丁寧に親切に謙虚にやり続けた。どんなに嫌な時も嫌な人に対して対応は変えない。限界な時は、せめて嫌な態度はとらないように精一杯善処する。
あとは帰りに感情の解放をする。人に当たると因果を生むし碌なことにならないからだ。
この時期は毎回ひたすら自分との戦い。
愛の元にどれだけ忍耐強くいられるか、その一点のみなので悲しくても悔しくてもとにかく優しくいる覚悟を決めてやり続けるのだ。
↑私の場合落ち込んだら海鮮丼を食べてリフレッシュ。
そしてやり続けること5ヶ月。
すると、今月に入って驚くことが起き出している。今までの嫌な態度の人、感じ悪い人、意地悪な人たちがこぞって「よろしくね」「ありがとう」「お世話様」というように!
どういうことかというと。
スピリチュアル的には収穫期に入ってきており今まで流し続けた優しさが返ってきて好循環に切り替わりつつあるのだ。これがいい種を撒きましょう、すると収穫の時期が訪れますと言われるもの。
しかし、もっと平たくいうと人は好意で対応をされ続けると自分もだんだんと好意で返したくなるようにできているのだ。優しくしてくれる人には嫌われたくないと思うようになるということだろうか?
とにかく感じが悪い人に囲まれて疲れ果てていた日々が嘘のように優しい人ばかりでやりやすい職場に様変わりしてきている。
これは、職場ばかりではない。
波動的なところで言っても人に出来る限り親切に優しくしようという感覚で生きていると、そう言った感覚で生きている人と引き合うようになるのでスムーズにいくし、なにより素晴らしい情報すら集まりやすくなる。
情報はどこまでいっても人がもっているものだからだ。
私が人に優しく親切にするようになって一番ありがたいと感じるのはそこだったりする。
出店しているときも、わざわざ島中ホームズの担当さんに紹介していただいたり、マルイのバイヤーさんと知り合えたり、たまたまの出会いでお店に展示させていただけたり、売り場でそのビルの社長さんに出会えたり、人がつないでくれるご縁が本当に素晴らしい縁にグレードアップしていく。
こればっかりはお金では買えないし、本当にありがたいと感じる。だからこそどんなにキツイと思うときでも感情の解放をしながら人には優しくし続けようと思う。忍耐力は必要になるけれどそのかわりとしての見返りが本当に大きすぎると感じる。
この先私がどうなっていくかはまだわからないけれど出会える人たちがどんどん素晴らしい人に変化していっているのは間違いないと思う。
良い情報、良い人柄、幸せな人間関係に恵まれたい人はぜひトライしてみてほしいと思う。
懸賞当選品、頂き物、お金。循環を起こすとたくさん入ってくる話①
前回、循環の話をしたので最近の幸運(物限定)を書いてみる。
これは全部12月〜の約1ヶ月ちょっとの話。
頂き物を発表してみる。これを読んだらみんな自分もやろう!と思うはず。
※ポイントは循環なので独り占めすると運が下がります。
↑関連記事。以前も書いた物質的な豊かさの循環の話。
このところ、物質面では本当にラッキーが炸裂してる。
波動酔いは最悪だけれど、物質だけに注目すると運が良すぎて怖いほど。
今回写真を撮ったぶんだけ羅列してみるのだけれど懸賞の当選から頂き物、多すぎてうちだけではどうにも多すぎるのでお裾分けを繰り返している。
それが循環になるようでさらにもらうといったプラスのスパイラルに。
↑不動産屋さんからいただいたハンバーグ。
これの他にプリンのセットも頂いた。
↑当選品のご飯。
↑麦茶セット。
↑職場でクリスマス全員に一つずつくれたケーキ。
↑Twitter懸賞の当選ドリンク。
この他に、
⚫︎ご近所さんからりんご&みかん。
⚫︎野菜チップス。
⚫︎クオカード1000円
⚫︎プペルの試写会ペアチケット
⚫︎サーカスのペアチケット
⚫︎台湾の高級茶
⚫︎ミスドの1000円チケット
⚫︎鉢植えのチューリップ
⚫︎年越し蕎麦
⚫︎スタバのチケット
⚫︎リンツのチョコレート
⚫︎ワッフル
⚫︎ビールと缶チューハイ(12本くらい)
⚫︎ペットシート
⚫︎臨時収入(7千円)
頂き物は覚えているだけでもこれだけたくさん。ほんのここ1ヶ月。でもこれ、すごい多かったわけではなくてちょっと普段より多かったくらい。
こんな状態がずっと続いているし、たまに宇宙の後押しがすごくてさらなるミラクルがおきる。
私自身はもう今の現状に対して努力はするけれど、夢を叶える手順とかこうなったらいいな…みたいなものは手放しで宇宙に任せてしまっている。
人間の想像なんて、高が知れている。
だったらもう宇宙に丸投げして任せてしまって一番いい状態にしてねと願うだけになってきている。実際それが最善を引き寄せているようだ。
頂き物に限らず。
欲しいな…と思っていたものを安く見つけたり、必要なタイミングで買えたり、お金がギリギリだと思ったら臨時収入があってなんとかなったりと本当に困らなくなってきている。
「本当に必要なものは、宇宙からもたらされる」は事実みたいだ。
でもイメージと違って、
⚫︎もちろんお金は払うし
⚫︎新品を予想してたらもらって中古だったり、
⚫︎謎にセールで安くなってたり。
超現実的なもたらされ方なので宇宙が必要なものをもたらしてくれたとは実際のところあまり思えない。(だって自力でお金払ってるし。)
引き寄せとか宇宙がもたらしてくれるとか、タダで宇宙が空から魔法みたいに落としてくれたり拾ったり、とにかく無料でラッキーみたいなイメージを抱きがちだけれど、本当にもたらされ方も地球サイズに落とし込んであるので与え方もどこまでも現実的なのだ。
しかし、私にこれだけたくさんもたらされていて宇宙には尽きることのない豊かさがあるそうだからやれば誰だって豊かさの中で生きられる。是非今年は読んでくれるみんなもどんどん豊かに幸せになるといいなと思う。
今回は物質について書いた。豊かさはものやお金を見がちだけれど、実は人に関しての方が幸福度には大きく関係してくると感じている。
次回は人に関しての豊かさについて書きます。
循環がキーワード☆まず自分から愛を出す。そして相手から愛を受け取る。両方やらないから愛が枯渇し波動が下がるという話。
2021年、あけましておめでとうございます㊗️
本年もよろしくお願いいたします!
のんびりペースの更新ですがお付き合いいただけたらと思います。
年末から家族を観察していてたくさんの気づきがあったもののエネルギーの流出が激しすぎてクタクタだった私。
どこにいてもエネルギーが吸われるから回復する前に吸われることの繰り返しで疲れ果てた。そんな流れの日々に、家族全員波動が安定してそうな高校生に出会い撃沈した私。(前世どんだけ徳積んだんだろう…。)私の人生と交換してほしい😭そんなこと言っても始まらないから来世少しでもマシになるよう今の場所で努力するのみ。
↑関連記事。情緒安定してるし心底羨ましい!
とはいえ、波動低めなはちゃめちゃな家族を観察していて気づきがたくさんあったのでそれを今日は書こうと思う。全ては循環がキーワードだとわかっていたけれど愛もやはりそうなのだなと思った。
全ては与えるだけでもダメだし、受け取るだけでもダメ。与えない上に受け取らないは最悪。とにかく循環させないと枯渇するし、愛の場合は孤独に転落するようだ。
愛は与えて受け取り分かち合うが大切。
今回このことを改めて感じた。
与えて受け取らなければ枯渇するし、受け取ってばかりで与えなければ入って来なくなる。
ようするに自分も周りも循環させることが大切なのだ。それに気づいたのは、いつも疲れ果てて心にブラックホールを抱えがちな彼を観察していて。
これがすごく不思議だったのだけれど、先日ついに理由がわかった。私相手だと甘えからか好き放題に振る舞う彼だが、姪相手だと無下にも出来ないようで遊び相手になっていたのだ。それも一日中。
すると、不思議な現象が。
年末の激務と仕事の疲れ、イライラからブラックホールが大変なことに。ここまで来るともう私もあまりの吸われようにクタクタ。しかし、姪の遊んでーがスタート。さすがに彼も断れない。
なるほど、与えて受け取るがうまくいくと心のブラックホールは満たされて埋まるんだ…。子供は素直だから彼でも好意を受け入れられるようだ。
しかしどちらかが受け取るのをやめたらこれは成り立たない…。(私相手だと当たり散らすから愛の循環が起きない💦)
与えること、そして与えられたらありがとうと素直に受け取ること。それが大事なんだなーと気づいたのでした。
実際、与えることはしていても受け取ることが出来てない人は多いです。しかし、愛を受け取ることって実は相手に愛を出す場所を与えてあげることになるため、それは相手の愛の循環を促す行為なので受け取ることも与えることと同じように大切です。
案外みんな与えるはできているから、率先して受け取ることに重点を置いてみるといいと思います。好意は素直に受け入れると相手が幸せそうなのが見えるから。
電車などでお年寄りに席を譲ったのに拒否されたとたまに聞くけれど、あれは受け取れないの典型だと思う。自分はそんな歳じゃない!と思ってもありがとうと素直に座れば譲った人はいい気分で幸せだし、自分も座れてラクなはず。
受け取ることも愛なんだと思って今年はどんどん受け取ることに心を開いてみてくださいね。
謎の話☆霊感スイッチがONの時は人間味がなくなる話。
メリークリスマス☆すぎちゃった。
話が色々飛び飛び、最近おまけに更新が遅すぎ。しかし書こうと思うものの…、クリスマスと年末でパートとバイトが大変な事態になっており宇宙にチューニングができない日々を送っています。周波数そちらに合わせないとどうしたって書くことがまとまらない。
そこで、今回その宇宙の周波数と人間の周波数、そこら辺を書いてみようかなと思う。
人間の周波数は毎日みんながやってることなので体感なんて書かなくてもわかると思う。
普段みんなが自然に行っている怒ったり泣いたり、喜んだり愚痴ったり。それこそがわざわざ生まれて肉体を纏い人間を体験しに来ている私たちにとって大切な体験なのだと思う。
だからこそ何か悟った人、魂の年齢が高い人のほうが人間臭いかったり俗にまみれていたりするんだと思う。(女好きだったりとか。)一周回って悟ると原点に戻ってくる感じなのかな?と感じる。
というのも地球という俗世界に生きている以上、山に籠って悟りを開き霊界みたいな生き方をするより周りの人をリアルに助けることこそが悟りだと行き着く。
すると悟ったところで人を助けることが霊的真理の核だと気づくと、結局俗に生きなきゃ意味がないとなる。(現在は霊的真理に気づかない人が大多数の世界だから。)山に篭っても人は誰も救えない。
結果、山を降りて俗世界で一緒に生きながら道を示すことが悟りとなる。そんな人が正しいことはわかっていてもできない性だったり、悲哀みたいなものを理解したうえで周りを励ましながら楽しく生きるという感じの人物になるのだろう。
懐の深さで斎藤一人さん、一休和尚、鬼平が好きなのだけれどみんな似た感じで人間の悲哀を理解しながらも俗っぽく生きている。わたしはそんなところにたまらなく魅力を感じてしまう。だからこそ、悟った人ほど俗世界に生きる必要があるのではないだろうか。
とはいえ、実際のところ宇宙とコンタクトをとる周波数の霊感スイッチが入ると人間味は欠落する。
人間として生きるなら人間味があふれた方が魅力的なのだけれど。
実際のところは波動を上げ、周波数を高めてエネルギーを宇宙に合わせると神の愛が広がる反面人間味はなくなると感じる。
と言うのも、人間味=自我に近いのだろう。
私らしさや自分らしさが人間味の構成要素になるので、宇宙のエネルギーにしっかりと波長を合わせるには自我は限りなく減らしていく必要がある。自我が無ければないほどクリアに宇宙のエネルギーをおろせるし、繋がれるからだ。
人間的に見たら愛なものも、宇宙から見たらそれは愛とは言えないものが多数見受けられる。
例えば独占欲からくる愛や、贔屓、身内愛など人間からしたら愛としか思えないものでも宇宙から見たらそれは愛とは程遠いもので地上は溢れている。
そんな人間味や人間臭さが抜けるとよりクリアな愛のレベルになる。しかし、ひとから見たら味気ないようなかなりドライなものになる。執着とはかけ離れた軽やかな高いレベルでの愛になるからだ。みんなに同等に愛を感じる反面、親だから、家族だからとより愛してるといった贔屓みたいなことは全くする気になれなくなるのだ。おまけに輪廻を悟るため死に対しても悲しみより地上の卒業と言った感じに捉えてしまうためそんなに悲しくないし、死んだらまた会おうとなかなかにドライな感じになる。人間の感覚からは想像できないくらいそうなんだとすんなり受けいれてしまうためだ。
しかし、本人は執着フリーで幸せになる。、また、本気で魂のステージを上げるとなると途中苦しすぎて感情に振り回されすぎると死にたくなるため無にならないと仕方ない場面が多数出てくる。そこで感情を止めて無で動ける訓練をしたためか霊感スイッチが入る時は感情がオフになるようで余計に人間味が欠落するようなのだ。代わりに色々わかるといった感じ。
たまに、この状態でずっと生きてる方に遭遇するけれどひたすらに静といった感じで淡々と生きている感じがする。天皇陛下も波長を合わせてみるとこちらの霊感スイッチが入りやすい。穏やかに淡々と毎日自己鍛錬している方は、大体感情のアップダウンが少なく感覚が鋭くなる反面、感情の起伏は疲れるのである程度情緒が一定になる。すると人間臭さが抜けてなんとなく冷淡に見える反面実は愛のレベルは高かったりするのだ。
結果、冷淡に見えるのは良くないと人間臭く俗っぽく生きながら愛のレベルは神に近づけ、周りに寄り添いながら生きることを実際にやる人たちが一番すごいのだと思うのだった。
ワーカホリック(仕事中毒)の波動的考察①
仕事中毒、一種の依存症とみたわ…。完全に波動障害。
今回の話はあくまでも私の体感と実体験を元に書きます。なので、参考程度にお願いします。
※そしてこの記事波動悪いです。注意☆
先週、久しぶりに都内のデパートで販売をしてきたのだけれど…。昔の自分とご対面するような事態に。
デザフェスのあとに変なテンションで受けてしまった例の仕事だ。
↓詳細詳しくはこちら。
通常ならば絶対に受けない仕事。デザフェス後の変なテンションだったため受けてしまい…今回大変ことになった。
まず、ありえないくらい職場の波動が合わない。メンズのフロアになるのだが、もとより売り上げが悪かった中で今回のコロナの直撃。前年比ベースでも売り上げが40%という、いまだかつてないほどツイてない場所!!なかなかご縁がない場所だ。フロアの空気や波動が最近体感した中でもピカイチに悪い。慢性的に売れないことによる諦めの波動が充満している。1日ただそこにいるだけでおそろしいほどクタクタになるのだ。
私自身今メインで働いてるのはスーパーであって、スーパーは何気にコロナの巣篭もり需要で売り上げが去年より伸びている。よく考えると今かなりツイてる場所といえる。だからか、波動は軽めで非常に楽なのだ。悲壮感とは無縁な場所。
そんな勢いのあるスーパーと、デパートの売れない紳士売り場。
振り幅が大きすぎて波動調整が大変なことに。
※低い高い低い高いで休みはクタクタ。
この感覚、なんと伝えたらいいか…全体にネガティブな世界と全体にポジティブな世界の波動を行き来してる感じなのだ。
ネガティブな世界とポジティブな世界には間にちょっとした感覚の空間?みたいなものがあって…そこを超えて上げたり下げたりしているわけなのだが、地味にそれがキツイ。空間はなんともつたえようもないけれど…。
ネガティブ波動← 空間 →ポジティブ波動
↑こんな感覚。
初日デパートに行くとあまりの波動に視界がブレるところからスタート。具合が悪くなり浮遊感が抜けずふわふわし、圧にクタクタに。2時間してやっと落ち着いたものの売ってるアイテムもなかなかにツイていない波動をしている。とにかくいるだけで疲れ果てるのだ。
同じフロアの寝具売り場にうちの波動が悪いマットレスが売っていたことに笑ってしまった。(やはり、波動悪いから引き合うのかしら…。)
そんな場所なのでいるだけで疲れ果てるのだけれど。
反面私自身が成長してきたことを実感した。10年前は私もあんな感じだったなーという感じ。昔は私も高い服をたくさん買い漁ったし、社販で少し安くなると聞けばとりあえず買ってたな…。今となっては物で心は満たされないって気づいちゃったからもう服はたくさんいらないのだけれど。そのフロアの人たちは昔の私のようだった。(まあ、あそこにいるとあまりに毎日疲れて不満しか出てこなくなるから楽しみは買い物だけになるのよね…。)
とにかくいる人全員が自分のことしか考えていない。
これが一緒にいると一番キツイ。
私自身も本当の意味で自分のことしか考えていないと気づいてから、そのステージから抜け出すまでにかなりの時間がかかった。実際自分のことしか考えていない人たちも実はみんな人のことを考えていると思っているのだ。ただその形がちょっとずれていて、
お菓子を買って行こう→みんなのため(実際は自分が感謝されていい気持ちになるため)。
となにかこう人のためといいつつ、考え方がとても複雑になっていて自分すら実は自分のためと気づいていないケースが多い。
親を含めてその思考回路の人が周りに溢れた中で育つと自己主張ができない割に普段我慢しているため変な形で人を利用するようになるというか…。言えないから言ってもらうように人を使うようになる。
今回も、コロナで収入が減ってシフトが増やしたいスタッフがいて、自分で言えないからか謎に私が営業に言うことになった(←?)。とにかく自分では本音が言えない人たちに囲まれている。
そんな中、かなり興味深いことに気づいた。周りの空気に敏感な人ほど仕事人間になりやすいと思う。
感覚的に魂の年齢は高めなんだろうな、というスタッフの方がいるのだけれど本当に一日中仕事の話しかしない。8時間一緒に勤務してる間中、在庫のこと素材のこと、とにかく仕事の内容ばかり喋っている。それを見ていて今までの色々なことが全部繋がった。
あまりに記事アップできないのでごめんなさい、後半に続く。