こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

謎の話☆霊感スイッチがONの時は人間味がなくなる話。

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メリークリスマス☆すぎちゃった。

 

話が色々飛び飛び、最近おまけに更新が遅すぎ。しかし書こうと思うものの…、クリスマスと年末でパートとバイトが大変な事態になっており宇宙にチューニングができない日々を送っています。周波数そちらに合わせないとどうしたって書くことがまとまらない。

 

そこで、今回その宇宙の周波数と人間の周波数、そこら辺を書いてみようかなと思う。

 

人間の周波数は毎日みんながやってることなので体感なんて書かなくてもわかると思う。

普段みんなが自然に行っている怒ったり泣いたり、喜んだり愚痴ったり。それこそがわざわざ生まれて肉体を纏い人間を体験しに来ている私たちにとって大切な体験なのだと思う。

 

だからこそ何か悟った人、魂の年齢が高い人のほうが人間臭いかったり俗にまみれていたりするんだと思う。(女好きだったりとか。)一周回って悟ると原点に戻ってくる感じなのかな?と感じる。

 

というのも地球という俗世界に生きている以上、山に籠って悟りを開き霊界みたいな生き方をするより周りの人をリアルに助けることこそが悟りだと行き着く。

 

すると悟ったところで人を助けることが霊的真理の核だと気づくと、結局俗に生きなきゃ意味がないとなる。(現在は霊的真理に気づかない人が大多数の世界だから。)山に篭っても人は誰も救えない。

 

結果、山を降りて俗世界で一緒に生きながら道を示すことが悟りとなる。そんな人が正しいことはわかっていてもできない性だったり、悲哀みたいなものを理解したうえで周りを励ましながら楽しく生きるという感じの人物になるのだろう。

懐の深さで斎藤一人さん、一休和尚、鬼平が好きなのだけれどみんな似た感じで人間の悲哀を理解しながらも俗っぽく生きている。わたしはそんなところにたまらなく魅力を感じてしまう。だからこそ、悟った人ほど俗世界に生きる必要があるのではないだろうか。

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とはいえ、実際のところ宇宙とコンタクトをとる周波数の霊感スイッチが入ると人間味は欠落する。

人間として生きるなら人間味があふれた方が魅力的なのだけれど。

実際のところは波動を上げ、周波数を高めてエネルギーを宇宙に合わせると神の愛が広がる反面人間味はなくなると感じる。

 

と言うのも、人間味=自我に近いのだろう。

私らしさや自分らしさが人間味の構成要素になるので、宇宙のエネルギーにしっかりと波長を合わせるには自我は限りなく減らしていく必要がある。自我が無ければないほどクリアに宇宙のエネルギーをおろせるし、繋がれるからだ。

 

人間的に見たら愛なものも、宇宙から見たらそれは愛とは言えないものが多数見受けられる。

例えば独占欲からくる愛や、贔屓、身内愛など人間からしたら愛としか思えないものでも宇宙から見たらそれは愛とは程遠いもので地上は溢れている。

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そんな人間味や人間臭さが抜けるとよりクリアな愛のレベルになる。しかし、ひとから見たら味気ないようなかなりドライなものになる。執着とはかけ離れた軽やかな高いレベルでの愛になるからだ。みんなに同等に愛を感じる反面、親だから、家族だからとより愛してるといった贔屓みたいなことは全くする気になれなくなるのだ。おまけに輪廻を悟るため死に対しても悲しみより地上の卒業と言った感じに捉えてしまうためそんなに悲しくないし、死んだらまた会おうとなかなかにドライな感じになる。人間の感覚からは想像できないくらいそうなんだとすんなり受けいれてしまうためだ。

 

しかし、本人は執着フリーで幸せになる。、また、本気で魂のステージを上げるとなると途中苦しすぎて感情に振り回されすぎると死にたくなるため無にならないと仕方ない場面が多数出てくる。そこで感情を止めて無で動ける訓練をしたためか霊感スイッチが入る時は感情がオフになるようで余計に人間味が欠落するようなのだ。代わりに色々わかるといった感じ。

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たまに、この状態でずっと生きてる方に遭遇するけれどひたすらに静といった感じで淡々と生きている感じがする。天皇陛下も波長を合わせてみるとこちらの霊感スイッチが入りやすい。穏やかに淡々と毎日自己鍛錬している方は、大体感情のアップダウンが少なく感覚が鋭くなる反面、感情の起伏は疲れるのである程度情緒が一定になる。すると人間臭さが抜けてなんとなく冷淡に見える反面実は愛のレベルは高かったりするのだ。

 

結果、冷淡に見えるのは良くないと人間臭く俗っぽく生きながら愛のレベルは神に近づけ、周りに寄り添いながら生きることを実際にやる人たちが一番すごいのだと思うのだった。