全てを捨てたい衝動に駆られた時ほど気合いでその場に踏みとどまると基本能力が上がる⑤
話題のコレ↑買ってみた。
前回の続き。
※今回、本音ですが最悪な発言が多数の回なのでご了承ください。
感情の解放を続けて嫌なものを嫌じゃないに切り替えつつ、感謝まで持ち上げる。
それがゴールなのはぼんやり理解していたものの、嫌なものは嫌なのだ。『もはや捨てたいんだ。』それが本音だった。
感情は本能に根差しているから本当に言うことを聞かない。今限界に嫌なのに嫌じゃないまで持ちあげるとなるとかなりのストレス・鬱・先行き不安が襲ってくる。
嫌を嫌じゃないにすることは限界を突破して自分の許容範囲を広げるのだから単純に考えてもそれはかなりの苦行になるわけだ。しかもぶっ続けで苦しみが何年も続くから休みたくても休めない。休日がないこと。それは精神が擦り減っても回復する暇がないことを意味していて一旦離れて一休みができないこと、それが一番つらかった。
一度心底嫌いになったものをもう一度愛すのって本当に神経がすり減る。だって嫌いなんだ。同じ空気吸うのも嫌なんだ。顔なんか見たくもないんだ。
家族だから、一度は好きになった人だからとか言うけれど毎日悪態を吐かれたり否定ばかりされてくると愛情のかけらすらすでに残っていなかった。本当嫌い。それが本音。
おまけに、優しさとは縁遠い人たち。
他人の方がよっぽど親切で優しく親身になってくれた。身近な人たちが過干渉だったり管理してきたり、否定はしてくるものの感情的に寄り添ってくれたり労ってくれることはなく、これほど私に無関心なくせに貶してくるのも泣けた。
なんて場所に生まれたんだろう。さっさと死ねたらラクなのに。でも来世またこんな場所に生まれたらうんざりだよ。死ぬこと、それすら許されないとかどんだけ生き地獄なんだよ。
ひたすら泣いて感情の解放をすると頭が冷静になる。するとなにか冷めた気持ちになり感情抜きに理性が働く。
家系はみんな愛わからないからこの状態が代々続いていることも重々理解していた。だとしたら、私のすべきことはなんだろう?そう考えるとその場で頑張るしか答えはなかった。
逃げ出したところで家族も親戚もみんなまた来世も同じような愛が足りない場に生まれるだろう。こんだけ私は苦しんだのに、自分だけ理解したら一抜けするのか?
そんなこと考えられなかった。逃げて新天地で一からやり直したところで守るものも大事にするべきものもなんにもなかった。一応家族だし、一応パートナー。気づいて自分だけ逃げたらこの人たちと同じになってしまう。それは嫌だ。神様ならどうする?それは、きっと殴られても周りを助けるだろう。じゃ、私はどうする?
何度もくじけそうになりながら、この場で愛に気づいたのだからそれを私からスタートさせ、周りに伝染させる以外の方法が浮かばなかった。そうすることで少しは来世みんながマシになるはずだ。
仕方ない、頑張ろう。
やったことは、自分の中にひたすらため込んだ「こいつら大嫌いだ。」
「何て嫌な連中だろう。」
「否定ばかりうんざりだ。」
「悪態ばかりつきやがって。」
「人間性なんとかしろよクズ。」
そんな彼らに対する嫌な気持ちの解放。溜め込みすぎて本当に地獄笑。解放しても解放してもいなくならない。結局嫌いと思いながら毎日十回は解放し続けて、ちょっとは愛せるかもと思えるようになるまで3年以上かかった。
今思い返すと笑えるのだけれど、家族やパートナーは近しい人なだけに恨みも相当なもので笑、憎らしい様子を全て笑顔で受け流してきてしまったために心の蓋を開けると冗談抜きに「大嫌い」「死んでくれたらラクなのに」「嫌なやつ」みたいな負の感情が爆発してしまい、抑え込むのも一苦労だったのだ。(本当に大変すぎてやばい。)
感謝なんて全くできなくて、感謝に切り替えができるようになるまで2年かかった。そのくらい恨みが溜まっていたのだった笑。
しかし、悪態つきながらもやり続けると。
守護霊の後押しがすごくて、亡くなったおばあちゃんや彼のお母さんをはじめ、だんだんとたくさんの霊たちが助けてくれるようになっていくのを肌で感じた。悪感情を委ねるのは早くなるし助けてほしい時は迅速に助けてくれる。
ただし、4割はどんなに大変でも自分一人で限界まで努力しないと助けは絶対に入らなかった。
悪感情は、本当にこまめに解放する癖をつけてほしい。私のように溜め込むと本当に苦しむ。そして旦那さんや親が最悪な場合は、負けずに戦う方が絶対にいい。嫌な感情は喧嘩してぶつけた方がこちらの精神衛生上いいから。抱え込むと本当に悪感情を解放するのも大変だし、(死ぬほど大変だったから、)人知れず家族からは行方不明になって新天地でやり直すのが一番だと感じるようになってしまう。
逃げるのはもちろんありなので同じことをしてくださいって話ではもちろんない。
実際私の場合、駆け足で飛び級した感じ。
例えば通常だと、現在魂が小学生2年生の勉強をしている場合2年生の3学期まで今世は成長させようとか3年生にしようとかゆったりとした成長をする。
しかし、私の場合言ってしまうと2年生の勉強をしていたのにいきなり5年生までやってしまおうと決めたようなものだと思う。
お陰でツライなんてもんじゃなかった。
しかし、結果から言うと、死ぬ気でやればできたし人間は無限の存在なんだなと気づいた。でも本当に大変だったのは言うまでもない。
ただ、これが5年も経つと。
彼、母親、妹ととても近い人たちは同じ人とは思えない変容を遂げている。見た目一緒だけど、中身が本当に別人な感じ。
この人ってこんな人だったの…?という瞬間がかなり増えている。母が思ったよりイケメン好きだったり、妹が昔からは考えられないくらい聡明で本ばかり読んでいたり(昔は頭悪い人が好きと公言していた)、彼が思った以上に繊細だったり、とにかくびっくりすることが増えていて。
人はやはり輪廻を繰り返す過程で色々な面を潜在的には抱えており劣等感を減らしていき、魂の成長を促すことでそうした面が顔を出すようになっていくのだなと驚いている。
父だけが、今一歩なので見捨てはしないけれどみんなが成長する中で取り残されていくことを懸念している。
父親も少しずつ良くなってきているものの、