体感・幸せ恐怖症①
先にも書いたけれど親ガチャを盛大に失敗した私は、まさに幸せ恐怖症だった。
↑憧れ。
ちょっと過去に戻ってみる。
そもそも幸せが理解できず
ちょっといいことがあると必ず次は不幸になるという感覚が頭をもたげた。
素敵な人に好きと言われると多分罰ゲームか何かだろうと思い怖くなるのだ。
👩🦰〈最初は優しくして、本当はお前なんか好きじゃないよって言って傷つくのを見て笑うのが目的に決まっている。〉
好きと言ってくれる人の真っ直ぐな気持ちが怖かった。それまでまっすぐに私に向き合ってくれる人はおらず、いつだって急かされて私のペースが整うのを待ってくれる人もいなかった。
〈今忙しいから後にして。〉
聞いてほしい時、
相手にされないのがいつもだった。
私だけをまっすぐに見つめてくれることは初めてのことでどうしたらいいのかがわからない。
大抵親が私に注目する時はバカにする時か怒る時で、それ以外で取り立てて注目されることはなかった。
注目は、攻撃を意味していた。
条件反射だ。
親すら大事にしない私を他人が大事にするはずがない。そもそも私に愛される価値があるとは到底思えなかった。
いつも人の顔色ばかり伺って本音を隠して、嫌われないようにばかり考えている、そんな私を私は大嫌いだったから。
素敵な人からかわいいとかすてきだと言われるとなにが望みなのだろうと余計に震えた。
そんな素敵な人の好意に応えるためにはどこまで自分を犠牲にしなきゃいけないのだろう?そう感じた。
通常の私に価値がないとしたら、素敵な人に釣り合うために私はどれだけ努力をして付加価値を提供することが出来たらこの人に釣り合うのだろう?
考えただけで恐ろしかった。
そんなの今以上に生き地獄だ。
それまで生きてきて
ただ生きているだけで
私に価値を見出されたことはなかった。
労働力や言いつけを守るなどの付加価値を提供して始めて家族認定される場所にいたのだからそれは当たり前の感覚だった。
ただし、これはだいぶあとになってから自己分析を繰り返して見えてきたことで、
当時の私は漠然と恐怖を感じるばかりだった。
普通の人には理解できないだろう。
好かれるとひどく困惑してしまってどうしたらいいかわからず逃げるのがよくあるパターンだった。
👩🦰〈一体なにが彼のお気に召したのだろう?
私の一体なにが好きなんだろう?私は私みたいな嫌な女は嫌いだし、そもそも男の人苦手😭〉
↑今思い返すと、本当に当てはまるから笑えてしまう。
私の場合、男性恐怖症もあったので(だいぶマシにはなったけれど、今でもすごい男らしい人は苦手。背が高い人も。力で抑えられたら逃げられないし、体重かけられたら潰されるかもと思うと怖いから。)
当時私を好きだと言ってくれた人には本当に申し訳ないと思う。
戻れるものなら向き合わず逃げたり、はぐらかして本当にごめんなさいと伝えたい。
好きだって伝えるのは本当に勇気がいることなのに。
それなのに逃げられるとか本当に失礼な話だ。
でも当時、私は本当にどうしたらいいかわからなかったのだ。
男性からの好意は恐怖だった。
そもそも男性恐怖症なのも、やはり育ちが関係してると思う。
父親とその兄弟が
加減のない人たちで
やめてって言ってもやめてくれなかったのが原因だと思う。
否定ばかりされていたのもキツイけれど。
話し方をバカにされたり
夏場日焼けしてしまって
真っ黒になったのをオバケみたいだと爆笑されて私の心は壊れたし、
幼い時細くて小さかった私は
ガイコツみたいだと爆笑されていた。
父親からは「ほねぇちゃん」
と呼ばれていたし。骨みたいに細かったからだろう。
結構ショックだったのだが、ショックを顔に出すとなおさらバカにされてしつこく泣くまで言われるのが常だったので顔には出さないと決めていた。
そこからは「ほねぇちゃん」が嫌すぎて体重増やさなきゃと頑張って食べたのだが、ちょっと太ってきたら今度はデブと言われる始末。
ふっ、終わってる。
親だから本当のことを言うってよく言われたけれど、
お陰で私の自尊心は
全く育たなかった。
中学になる頃には
デブでブスで頭は平均的。
秀でたものはなにもない。
それが私に対する家族の評価だった。
また、父親の兄弟やいとこがたまに来て遊んでくれたのだがそれはそれはハードすぎた。
小学生の女の子相手に、
布団でぐるぐる巻きにして放置するのだ。
👨🦰「すまきだーw」
とか言って笑っている。
👩🦰「やめて、苦しい。息ができないからー💦」
👨🦰「www」
👩🦰「お母さん助けてー(誰も助けに来ない涙。本当に死ぬかも)死ぬ。。。」
そんなことがざらにあった。
まあ、誰も助けには来るはずもない。
泣きすぎて疲れてもう死ぬかもと思う頃解いてくれたが、アレのなにが楽しかったのだろう?
あれをやりすぎてしくじると過失致死になるんだろうな。
ニュースにならなくてよかった。
私や妹が泣くのを見て喜んでいたような気もする。泣いても喜ぶばかりで絶対やめてくれなかったけど。
また、お年玉巻き上げらたのも数知れず。
その時期になると、たくさんもらったかな、くらいの1月5日くらいの時期に現れてオセロや他にもたくさんのカードゲームで巻き上げるのだ。それは従兄弟も同じだったようだ。
ヤクザみたい。笑える。
成長期の時期には
生理が来たかと聞かれ、
ブラジャー買ったか見せてみろと言われ、
デブだから痩せろ、
頭が悪い、
少し大人になると、
色気づきやがって
もうキスはしたか
とまあ、暴言とモラハラの数々。
もっとひどいこともあったけど書けるわけない笑。
笑ってやり過ごすしかなかった。
泣いたり怒ったりすると相手がなおさら喜ぶのだから。
とにかくそんな環境だったので、本心は出せなかった。出して笑われたらなけなしの自尊心がさらに壊れてしまっただろう。
だんだんと家では感情は出さない冷めた子供になったのは言うまでもない。