体感・幸せ恐怖症②
小さい頃から父方の伯母の家によく遊びに行っていた。
都内で身内がほとんどいなかったせいもあるだろう。父は非常に身内贔屓な人で、口では最後は家族といつも言っていた。
👩(‥‥いう割に、私たち大事にされたことないけど。。。)
小さい頃は、その🏠の父親の従兄弟のお兄ちゃんが遊んでくれるので本当に楽しかった。
優しくない身内の中で彼は本当に天使のような人だった。父方の身内では稀有な存在だったのだ。
とにかく子供優先でたくさん遊んでくれた。
いつも優しかったし、私の身近にいる男性で唯一安心できる人だった。(母方はもちろんみんな普通なのだが、遠かったので絡みがあまりなかったのだ。)
意地悪しないし
バカにしないし
セクシャルなことしないし
話は聞いてくれるし
なにより穏やかだった。
対して周りの大人はみな
いつもイライラしていて
命令してきて
言うことを聞かないと怒るし
物差しやら持って追いかけてくるので
常に心の中は戦闘状態だった。
いつどこから攻撃をされても、逃げ道を確保しないと痛い目にあうのは私。
父も母も、基本的に私や妹の人権は認めていなかったと思う。
子供が生まれて働き手が増えたという感覚が近いと感じる。
あれしてこれしてが多く、私は頼まれごとをこなすために存在していた。それをしないと子供の私には居場所すらなくなるのだからやるしかない。妹はそれを察知して早々から家族といることをやめた。妹はあてにならないとされて、頼まれごとは私より圧倒的に少なかった。
彼女はとても賢いのだ。
イメージとしては、子供をたくさん抱えたプランテーション?みたいな感じが近い気がする。
一応自分の子供だから
現代だし
学校に行かせてくれたり
食べさせてくれたりはするけれど
働き手としてしっかり働いてもらう。
と言った感じだった。
〈働かざるもの食うべからず〉
が、母の基本理念だったのでそれを遂行していたのだろう。
そして、
私たちはどこかに連れて行ってもらうことがほとんどなかったので
近所の公園や近くの本屋さん、
レンタルビデオ屋さん以外で、
たまに連れて行ってくれる伯母のうちは楽しみだった。
映画やちょっと遠くの公園など、
連れ出してくれたのはそこのお兄ちゃん・お姉ちゃんで、思い返してみると親がどこかに連れて行ってくれたことはほとんどなかった。
(まあ、働き手をわざわざ休みの日に自分達が疲れてまで外に連れ出す必要はないか。)
伯母の家は、伯母の愚痴と身内の近況という名の悪口を聞くのが流れだったのだが、私も妹も彼がいたからとても楽しみにしていたのだ。
ただし、
妹は本当に賢いので
小学校高学年くらいになる頃には
完全に親と行動を共にしないで友達と遊ぶのを優先していた。
つづく。