愛がわからない原因①
支配欲、性的欲求、女、金。
全ての欲の根底にあるものは自分の存在意義の証明とそれを覆すものに対する恐れだと感じる。
そして、そのさらに奥底にあるものは愛への枯渇だ。
愛されたいから人は色々な行動を起こし努力し
人によっては事件すら起こす。 物質的にはたくさん持ってる人ほどさらに多くのものを欲しがる。そしてそれを守るために躍起になる。
たくさん人に物を与えればそれだけちやほやされるし、愛されてると確認できる機会が増えるからだ。(もちろん、そんな感情とは無縁でみんなと分かち合うのが好きな方々がいるのも理解している。)
漫画のカイジでカードゲームの話の時、持たざるものの奴隷だけが王を打つという下りがあったが、あれは的を射ているなと思う。 貧しい人は実は2種類いて真に貧しい人とそうでない人がいる。見た目は貧しくても心は貧しくない人。貧しさから苦しみに支配され心まで貧しくなった人。
持たざる者にも2種類いて殺人さえも厭わない自暴自棄の人と物事の本質を見抜いていて軽やかな人がいる。前者はただ破滅を呼ぶが後者はいとも簡単に権力すら超えて行く。
権力者が恐れるのは後者で、彼らは既存に囚われないしなやかさで時代を変えて行く。欲によって身動きが取れなくなることを理解しているのだ。 そして心の枯渇は物質では埋まらないことを理解している。
持たないが故に自由に動ける行動力と、
古いものを簡単に壊して進んでいくパワー、
そして
なにより多くの人々を魅了することだ。
どんな権力も、魅力には勝てないのだ。
地球上にいる全ての人の存在欲や感情は愛が欲しいからと言える。
若い女の子は愛されてるか確認したいからわがままを通すし、それで彼氏の気持ちを確かめる。
子どもは、母の愛が自分にあるかママ嫌いと繰り返す時期がある。それでも好きでいてくれるか確認をするのだ。
前置きが長くなった。
ここからが本題。
愛がわからない人は小さい頃に親から突き放されたことに大きく起因すると思う。
少なくとも、私自身親から酷く怒られたあと
幼い頃からフォローされたことは一度もなかった。
いわゆる怒りっぱなしというやつだ。
毎回怒られて放置されると
自身の存在意義が揺らぐようになる。
私はここにいていいのかな…?
とは言え幼い私には行く場所もない。
何かしないといつか本当に追い出されるのではないだろうか?
そのうちに、怒られることを極端に恐れるようになった。
怒られるのは怖いし
感情に任せて叩かれて
そんな子いりません!と突き放されて
フォローもない。
ひとりぼっちだと感じる瞬間でそれは私をひどく不安にさせた。
そして大丈夫だよって抱き締められたくて
泣き続けたところで誰も抱きしめてはくれなかった。
程なく気づくのだが泣くと事態は悪化した。
「うるさい!早く泣き止みなさい!泣けば済むと思うな!」
あんたは橋の下から拾ってきた子!
いつも言われていたので
怒られる時は、きっと今日こそ橋の下に戻されるのだろうという不安に見舞われた。
いつか本当に捨てられたらどうしようと不安がいつもいつもつきまとうようになった。
悲しいことに愛されてるという自信も全く持てなかった。
ケンカをするとお姉ちゃんが悪い!
謝りなさい。妹は小さいのだから。
大きいのだから我慢しなさいと言われた。
ほんの、3、4歳の頃の話だ。
妹は小さいのだから〜のくだりは
小学低学年の頃まで続いた。
突き放され
泣くと置いていかれ
わがままをいうと感情的に怒られ
母はいつも妹の味方で
私はひとりぼっちだと感じていた。
父親は子育てには無関心だった。
その繰り返しの中いつしか私はいらない子なのだと思うようになった。
そして、この経験は後々恋愛や人間関係の中で悩まされる見捨てられ不安の原因となるのだった。