こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

愛ってなんだろう?本能的な愛と理性を伴った愛①

 今日はちょっと愛について真面目に書いてみる。長くなります。ごめんなさい。

 

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突き詰めて考えると愛って2種類あると思う。

 

私はその育成環境から感情が歪みきっているのであてにならない。(蓼食う虫も好き好きってレベルじゃない😓。)結果色々考えて理性で生きている。例えば物事を判断する時。感情を感じつつも道理と倫理をよく考えて判断するのだ。もちろん、人が絡む場合はそこに人情も加味する。

感情は確かにあてにならないが、悪いことばかりでもない。おかげで理性を中心に考えることとその重要性を身に染みて感じていたりもする。

 

👩‍🦰〈そもそも感情だけで生きてきたら私は間違いなく風俗嬢コースだったんだわ。私なりに冷静に精査しつつ理性的に判断してきたから今ここにいる。〉

※だからといって風俗産業に偏見は全くありません。やってる方々のことを思うとあんなに精神的に大変な仕事、間違いなく他にはないから。精神が病むことこの上ない。お客さんは従事してくれるスタッフに感謝してね☆

 

それだけに理性はとても大事だと感じていて、感情にだけに頼ることは判断力を鈍らせると思うのだ。

 

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本能的な愛とはなにか。

ちょっとややこしい☆

 

愛については愛されなかった分ずっとずっと考えてきていて、この先も私は考え続けるだろうから現時点での考察になる。(この先も気づきを繰り返していくとどんどん変化するだろうから。)

 

 

 私自身が親から受けた愛は、一応、本能に基づいたものに分類されると思う。それはもちろん決して悪いこととかではない。本能からくる愛はそれはなくてはならないもの。生まれた子供を本能で可愛いと思わなかったら種の存続が危うくなるし究極のところ人がいなくなってしまうだろう。

好きな人を見つけて、その人と恋に落ちて子供を産み家族を作る。そしてまたその子が大人になって子供を産み家族を作る。太古の昔からそれが続いてきたから今私たちはここにいてそれは本能なしでは続かなかったろう。

だから本能的な愛もすごく大切。

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しかし実際のところ、本能的な愛は主観的で〈好き〉というひどく曖昧で自分の偏った考え方・感情に支配されているモノだと言える。

 

私の感情が歪んでいるからかもしれないが、私が好きになるものは到底人が好むものからはかけ離れていたし、周りを観察しても生まれてきた環境や住んでいる場所・時代・親の価値観に〈好き〉は左右されるものだと身をもって感じることが多かった。そんな自分というフィルターを通して好きと感じる愛はひどく曖昧で不確かなものなのだ。そして本能的な愛は、愛を継続する力に圧倒的に欠けている。

 

👩‍🦰(乙女心と秋の空。人間の感情なんてひどく移り気なものなのよ。)

 

なぜなら本能的な愛は、そんな自分の好きという原動力を核に成り立つので相手が自分の気に入らない行為や行動をすると簡単に冷めてしまう。気に入っていたおもちゃに飽きてしまうように。あくまで主観的なものなのだ。

 

👩‍🦰〈父が私たちに気分がいい時だけかまったり、気に入らない時は当たり散らしたのはまさにそれ。〉

 

本能的な愛だけに傾くと結婚していても簡単に好きな人を見つけると不倫に走ったり、離婚したりする。感情に支配された好きを基準にした愛は幼く、非常に脆いのだ。そしてそうした人ほど運命の愛だとか大恋愛だとか身を滅ぼすほど好きだったとかいう。

なんて破滅的なんだ。

 

愛=破滅なわけなかろうて。

※愛は調和であり忍耐なはず。耳が痛い。笑。

 

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◯恋は落ちるもの。

◯恋は突然やってきて、それは制御できないもの。

◯好きになったんだから仕方ない。

 

これらはよく不倫する人や恋愛を繰り返す人が言うセリフ。だからって感情や本能的な愛が悪いって話ではない。始まりはそんなもんだ。でも、それを本物の愛に昇華させるためには忍耐と理性は必要不可欠であり、その本能的な愛や感情にちょっぴり理性を付け加えようって話だ。

 

👩‍🦰「ちなみに、不倫は如何なる理由でもダメです。好きになったらちゃんとした手順を踏みましょう。」

 

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本能的な愛、それは真実の愛などではなく、

脳内麻薬ドーパミンです。

 

脳内麻薬ドーパミン

 

恋愛中毒な人やDV男にハマる人ほど脳内麻薬ドーパミンの影響で、その恋愛の好き好き好きって期間を体感することの中毒になっている。

 

👩‍🦰〈悪い男ほど惹かれるものだしね。〉

 

ドーパミンは薬物の快感よりも威力があると言われるほど。

なので不毛な恋愛を繰り返してしまう人はドーパミンの快感中毒になっている可能性が高く、そういった場合恋愛のドーパミン期間を過ぎてしまうと〈もう好きじゃないから別れたい。〉となる。

が、毎日毎日大好きだ愛してる、あなたなしだと死んでしまうと感じることが本当の意味での愛ではないのだ。

それはさっきも書いたがドーパミン中毒&単にいつまでも自分本意な恋をしていたいだけ。逆説的に考えてみても、それが真実愛だとして全員が本能的な愛に忠実だったとしたら世の中めちゃくちゃになるだろう。父も母も今頃他の男性・女性といて家族ではなくなっているだろうし、結婚制度自体が成り立たなくなる。また、幼い頃から居場所がわからない存在不安な愛がわからない子が溢れかえり、国自体が傾きかねない。それは容易に想像がつくし、だとしたら本能に基づいた愛、それが正解とはとても思えない。

本当の愛は責任を伴うのだ。

 

👩‍🦰〈とはいえ、うちの父親みたいなわけのわからない男といる場合は悪影響なので離婚反対なわけではありません。最善を尽くしてそれでもダメな場合はさっさと別れて新たに幸せになりましょう。〉

 

つまり、出逢った初めの頃の本能的な愛だけだとそれはまだ本当の意味での愛ではない。感情や欲情に流される動物と変わらないのだがら。では、本能的な愛とは違う理性的な愛とはなんなのだろう?

 

次回につづく。