やってみた☆〈受け入れることが強さ〉ということ。
パレードが近くて幸せ♡
昨日はディズニーランドへ行ってきた。
キリンのスペシャルナイトで人数が空くなったこともありパレードがものすごい近くで見えて嬉しかった♡
昔のヒロインは美女と野獣のベルみたいな、なにか物悲しい雰囲気があった。今は、姪が通う幼稚園でも子供たちにラプンツェルが大人気なのだ。今の子たちが好きなヒロインは自力で道を開き、明るく天真爛漫。なにか時代はだんだん良くなるなとほんわかした。
生まれてから受け入れ難いことばかり笑。
さて、私の前半の人生は我慢ならないこと・受け入れ難いことばかりだった。父のモラハラ・借金をはじめとして、出会った男は総じてモラハラだったし、ブスで貧乏とにかく色々と直視に耐えない現状が広がっていた。
それらに伴って得た劣等感が本当に最悪で、なんとかするために色々画策してきたわけだ。ある程度自分の劣等感から抜け出すと自分だけは楽にはなったのだが、そんな状態にいた私の周りにいる人たちは皆似たり寄ったりでどうしたもんかと頭を抱えた。周りがみんなそれなのだから自分だけ改善したところで周りからの悪影響は計り知れない。人が環境の生き物と言われる理由もその時に身をもって学んだ。
父のモラハラと被害妄想をはじめとして、母の劣等感と貧乏。彼氏は否定ばかりしてくる嫌なやつで、妹も当時ほぼ引きこもり。幼馴染は似たような感じで夫のモラハラにやられていた。
そんな頃そんな現状を全く知らない人たちにはなぜ結婚しないのかとよく聞かれた。
〈結婚しない理由〉
◯恥ずかしくて親を紹介できない。
◯式を挙げるお金がない。
◯したところで今度は夫のモラハラ、不機嫌地獄にはまりそう。
◯幸せな未来が全く見えない。
◯過去のツケで自分もお金がない。
◯生きるだけで毎日精一杯でクタクタ。
他にもまだまだあるがそれらが主な理由だった。普通の家庭からは想像ができないと思うが、両家の顔合わせに耐えるメンタルも私にはなかった。相手の家と釣り合いが取れるとも思えなかったし、父を父ですと紹介するのがいやだった。清潔感はないし、支離滅裂でなにを言い出すかわからない。恥ずかしい思いをするのは目に見えていた。
そんな状態だったのだ。
おまけに耐えられない我慢できないとヒスを起こしたところで現実はリセットはできない。エネルギーの法則から見ても、自分が変わるしか根本的に解決する方法がないのだ。
自分だけその場から逃げて自分を変えずに周りを変えたところで自分のエネルギーを全面的に変えていないのだからそう遠くない将来にまた同じ状態に追い込まれるのは理解していた。
↑関連記事。エネルギーの法則。
我慢ならない現実。でも受け入れないと始まらない。
彼氏だけは切り替えが効くが、他は血縁で切り替えようがなかった。世の中的に見ても結構詰んでる方だと思う。
👩🦰〈参ったな〜〜〜。どうしよう。〉
とはいえ。我慢には限界がくるのもわかっていた。改善しながら耐えるのと、ただただ我慢するのとでは同じに見えて全く違うから。
我慢しなくても〈まあ、いっか〉と許容できるように自分の狭い器をもう少し大きな器にするのが近道だなと考えた。
自分を成長させれは二度と同じことで悩むことはなくなるのだから。そこで当分は自分を改善しながら現状に耐えようと決めた。
受け入れられるように自分を高めるのだ。
父親が自宅ホームレスでも彼氏がモラハラでも、〈ま、いっか。それもありさ。〉と涼しい顔で言えるようになればもうそのことで悩む必要がなくなる。受け入れることに決めたのだが、これがとんでもなく努力しないといけなかった。
いつもそうなのだが、心の許容範囲を広げることはできるようになってしまえば当たり前になる。が出来る様になるまでは本当に苦心する。ちょうど暴れ馬を乗りこなすようになることに似ていると思う。心が拒否することをそれもありだよねという状態まで消化させるわけだから、耐えられない・我慢ならないと拒否反応が多発するし精神的にも追い詰められる。
それを理性でねじ伏せてこのまま進む!と道なき道を心の中に作るのだ。開墾と同じで結構大変。無理と感じることを大丈夫と決めて風船を膨らませた状態を保持するのだ。限界を超えるときの方法とやり方はそう変わらないと思う。
その〈無理・嫌・我慢ならない〉の限界点を越えるまで耐え続けて落ち着いてくると受け入れられるようになる。
〈受け入れることが強さ〉だと言われるのは心の許容を広げることが必須になるからなのかな?と私は思う。違いを受け入れる柔軟性は自分を成長させないとできないといつも感じる。新しいものや知らないことって脅威を感じるものだから。
↑関連記事。限界の先にいってみた。
そんな感じで、受け入れる努力を何年も続けてきて。
またわけわからんこと言ってるな、またぶつぶつ言ってるなと今、笑える自分がいる。
ブログに家族のことを書けるようになってるのだから、かなり受け入れたなと思う。子供の貯金箱からお金を持ってく父なんて恥ずかしくて仕方なかったが今や笑える自分がいたりする。完璧に受け入れたかはわからないが、イライラはしないし、もうしょうがないよねって感じにまではなってきている。
死ぬまでに笑い話にまで消化できたら私の勝ちだなあと今思う。まだ道半ば。
(だからってモラハラを我慢して耐えるのがいいって話でありません。子供がいて嫌なら出来る限り早く離婚しましょう。子供には悪影響でしかありません。ただし、魂の成長という観点から見ると問題はギフトなので自分の糧にするのであれば収穫はものすごいです。)