一人で頑張りすぎなくても実は大丈夫ということ
今日は頑張り屋さんに向けて書く。
全て自分一人でなんとかしなければと抱え込むと助けが入る隙がない。
以前、豊かさが流れてくるには隙が非常に大切だと書いた。日本人の特に年配の人は人には迷惑をかけちゃいけないと親から教育されてるケースが多く、何がなんでも一人で頑張らなければと孤軍奮闘していることが多い。
でも、助けてもらえない方も一人で必死にやらなきゃいけず辛いが、見ている周りも辛かったりする。なにしろ本当に助ける隙がなさすぎるのだ。
↑関連記事。こちら。
自分を含め、限界の時ほどそうなりやすい(必死で頑張らなければ、なんとかしなければ)と感じる。あえて隙を作る必要がある。
母親を見ての考察。
うちは、残念なことに父親が本当に稀に見るモラハラクズ野郎なのだ。あんなに意地悪で嫌なヤツ、街中探してもなかなかいないと思う。
(詳しくは書かないが、本当にある意味、奇跡の人だ。自分の徳を下げてまで周りにこうはなったらいけないと教えに来てくれたのだろう。ありがたいとしておく。)
そんな母親は、当てにならない父親を横目に、昔から孤軍奮闘・一人で全てを抱え込んできたのだ。
〈誰も助けてはくれない。だから私がなんとかしなくちゃ。〉
その結果、必死でなんとかするを繰り返しているのだが本当に私たち人も宇宙も、助ける隙が全くない。
朝から晩までチャキチャキ動き回り、ゆっくりするということがない。私が一緒にいるときは隣でマシンガンのように喋り続ける。日頃から父親とは話にならず、つまらないし聞いてくれないのがその理由らしい。
が、結果、一緒にいると一日中隣りで喋り続けられ、私はひどく疲れるので親孝行とは思うから聞くが、だんだん疲れてくる。
空気を変えたくて、ゆっくりした時間を一緒に過ごそうと、いいコーヒー豆を持っていき、コーヒーを挽いてコーヒー用のヤカンをガスコンロにかける。
すると、〈そんなのは時間がかかるからこっちにしなさい〉とティファールの電気ケトルでさかさか沸かしてざざっと入れる。
電気ケトルが悪いって話ではない。
ゆったりした時間をあえて取ることは隙を作る練習なのだ。
コーヒー用のヤカンで丁寧にコーヒーを抽出して香りを楽しみ、お気に入りのカップに注ぐ。ちょっといいクッキーと一緒に美味しくいただく。ゆっくり過ごす。
その丁寧な作業の積み重ねが自分を大切にすることに繋がり、ゆったりした時間に繋がり、それが隙となって、結果豊かさに繋がるのだ。
それがどんなに言ってもわからないし、やってみせてもわからない。
上野のアメ横みたいな母親は誰に頼まれたわけでもなく、自分がやらないと誰もやらないからとチャキチャキチャキチャキ動き回って、夕方からは疲れた、疲れたを繰り返す。助けを入れる隙を自分が作らないのに無茶苦茶だ。
👩🦰〈疲れるのはこっちだ。。。〉
実際、この間も書いたが。
信じてない人にも守護霊さんはついていて、
一人で4.5割まで努力すると周りの人からの助けや宇宙からの助けもはいってくるようになっている。一人で頑張り続けて
〈やはり、誰も助けてくれないから一人でやらねば。〉
と思い込むより、すごい大変!でも、そんな中でも今見えない仲間たちが周りで頑張って動いてくれてるから一人じゃないな、ありがたいなと思う隙を作った方が結果的に助けられるし、早く出られる。
みんな、それを知らないから頑張り屋さんほど受け入れる隙が作れず、見えない存在の助けに気づかず気づかないから見えない人たちは思うように動けず、一人で頑張りすぎてしまい、どんどん辛いところに自分で自分を追い込んでしまう。案外人は守られているのだ。
受け入れる隙を作るにはやることはやりつつも楽観的であることが本当に大切になる。
これは私自身書いているけど、転落したときにそれを信じることがどれほど困難かも理解している。
でも、見えない人たちから最大限助けてもらうには宇宙の周波数に合わせる以外方法がないのだから隙を作る練習はしたほうがいい。
実際、母親は少し楽観的になった頃に、割のいい仕事を見つけて以前より幸せになってきている。