体感・低いエネルギー(波動)⑤鬱は一発逆転のチャンス
以前の続き。
不安定な精神と鬱とパニック
鬱に転落して、不安定な精神にどうしていいかわからなかった。心の闇が真っ暗なことも死ぬほど恐ろしかった。心のエネルギーが足りず、モタモタ動くのがやっとな日々。気が足りなくなると人は動くことすらできなくなるのだ。
かと言って助けてくれる人もいない。支払いは月末にきっちりある。
休めない日々の中どうしたらいいのかわからず、不安からパニックになることもしばしば。(パニックめっちゃ怖い。)本当に地獄の底はあそこだったと思う。とはいえ助けてくれる人も、派遣社員だった私には守ってくれる会社もなかった。
↑関連記事・鬱の克服方法。鬱はこれで寛解
他力は期待できない以上、自力でなんとかするしかない。本当に自力で這い上がったと思う。もう一回やれって言われたら本当にやりたくない。それぐらい不安定で恐怖に苛まれる日々だった。電車でのパニックは本当にトラウマものだった。(感情の解放済みで今は平気。)
そんなことが半年〜1年近く続き、1年を過ぎた頃から精神的に限界の日々から少しだけ抜け出せる日が出てきたのだ。まだ闇は目の前に広がっていた。が、光が見えるようになっていた。よくなるのは、本当に薄皮を1枚1枚剥いでいくようにゆっくりとした変化の中で起きた。1週間で見ると6日鬱で1日ちょっと落ち込まない日が出てきたみたいなかんじ。
鬱が治って終わったらただ損しただけじゃないか。
ある日、ちょっと調子がいい日。
ここまで苦しんだのに治って終わりとかただ損しただけじゃないか、とふと思ったのだ。転んだのにただ立つだけとか本当に損したかんじ。
そもそも、鬱になる人ってやたら真面目なのだ。生真面目で言われたことはしっかりやるし責任感も強い。それで、頼まれたことは断れなくて、やらなきゃいけないことにがんじがらめにされても助けてが言えず無理に無理を重ねて限界がきたときに心がショート、鬱になるみたいな流れ。少なくとも私はそうだった。
真面目で頑張り屋の私が我慢の結果鬱に転落して、おまけにただ治っただけとか絶対許せなかった。
それだと頑張り屋は損するって話になる。
そんな不条理許せるか。鬱に転落してラッキーだったと思いたい。鬱をしてない人よりなにかひとつでも得してないと納得がいかなかったのだ。
なんとか得した経験に転換したかったのだ。
そんな時に知ったのが感情の解放だった。
鬱により強制的に恐怖や不安、パニックに転落するのだから考えようによっては恐怖の解放をする絶好の機会をいただいていてそれは、新しい人生に踏み出すチャンスなわけだ。今思うと本当にそれはギフトだったと思う。鬱にならなければ絶対に気付かなかった。
↑関連記事。感情の解放手順はこちら
恐怖や不安の真っ只中にいたときは不安から目を背けて逃げることしか考えなかった。不安は考えないようにする。薬も不安感を鎮めるみたいなものだったし。
恐怖に飛び込んで回収しようなんて考えもしなかったが、感情の解放を始めると、不安や恐怖がひどいほど飛び込む価値があると理解できるようになる。怖ければ怖いほど、その価値は高いからだ。
恐怖万歳、チャンス到来❣️
なわけだ。
抱え込んだ不安や恐怖は出てきたときにどんどん解放したほうがいい。
鬱を単なる鬱の寛解で終わらせず、本当の人生を歩むチャンスをもらったと前向きに考えるとそれは意義深いものになる。
電車でのパニックは霊障
余談にはなるが。
電車のパニックも、鬱が落ち着いて少ししてから私はあえてパニックを起こしそうな、なかなか降りられない茨城方面の電車に乗車して恐怖を解放した。
これは個人的な体感によるけれど、電車でのパニックは霊障が大きく関係していると感じる。
電車のような不特定多数の人がいる場所では霊が多い。鬱など、精神に不安を抱えたときに電車に乗車すると不安の種を抱えていたり、以前パニックを起こしたりした人はまたなったら…と不安になる。
そこはエネルギーの法則で、その不安のエネルギーに霊は敏感に反応して乗ってきてしまう。ちょっと不安と思った次の瞬間にものすごい不安に襲われるのはそういうことだ。霊に憑かれたのだ。
そのものすごい不安にパニックになると、霊はそれこそさらにべっっっったりくっつく。不安の波長が合うのだからそれは仕方がない。
そんな状態の時は、不安の解放を全力でするか、霊との波長をずらすために、幸せ♡とか楽しい♡とか自分の波長を変える必要がある。霊は幸せな波長にはいられないからだ。
これは結局根本解決するには精神鍛錬するしかないし、そういう人は不安に傾かない訓練をするのが有効なのだ。人になんとかしてもらえるものではない。
私は霊に乗られやすいから不安はもう見ないことにしている。不安はこまめに解放をするクセをつけている。
憑かれた時は気にしないようにして、幸せなことを考える。すると霊はいつの間にかいなくなってしまうのだから。