こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

なにもしない父親

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思い返すと

私は母そっくりだった。

 

 

私は母のことが大好きだったが

反面、母のようにはなりたくないと小さい頃から何度も感じていた。

 

わけのわからない父親という男に振り回されてばかりの母。自分の意見はなく子供の目にも頼りにならない男にすがるばかりの母。

一人では何もできない母のような女にだけはなりたくないと思うようになっていった。

 

父は家庭を顧みず

給料のほとんどをギャンブルや自分の娯楽につぎ込んでいたのでうちはいつもお金がなかった。

 

嘘つきな父に振り回されて

口座からどんどん引き出されて

いつもいつもお金がなかった我が家。

 

帰ってくると一日の不機嫌を家族に当たり散らす。

 

私が小学生の頃は父はほぼ働いてなかった。

見かねてパートを始めた母。

 

お金がないは耳にタコができるほど言われ続けた。

 

 

大人になってから聞いた話だが

 

 

 ある時、叔母の家に遊びにいった私と妹は

子供だけ叔母にレストランに連れて行ってもらったそうだ。

 

私も妹も幼すぎて記憶にはない。

 

レストランで席についてから、5歳だった私と3歳くらいだった妹に叔母が、

 

「好きなものを食べなさい。なんでも頼んでいいからね」

 

と言ったそうだ。

 

すると、幼い私は少し戸惑ってから

 

👩‍🦰「一番安いのでいいよ。」

 

と答えたそうだ。

 

叔母はびっくりして

 

「‥‥どうして?好きなものを頼んでいいのよ?お寿司とか、なんでもいいのよ。」

 

 

 

👩‍🦰「‥‥でも、うちにはお金がないから、‥‥私は一番安いのでいいよ。」

 

と、答えたそうだ。

 

そんなに幼い子が、お金を気にして食べたいものを言わないなんて。

 

 

私が今になって思い返す限り

貧乏の英才教育は完璧だったと思う。

 

 

 

そんな生活の中で、必然的に 

 

◯欲しいものより安いものを買う

 

◯必要なものは一番安いものを買う

 

◯値下げ率の高いものを探す

 

 

それはクセになった。

 

そして、いつのまにか安いものが似合う私が出来上がっていった。

 

 

幼い頃は貯金が好きだったが、

一生懸命貯めてもあまり意味がないことにほどなく気づいた。

 

中学、高校になる頃には

父親は私や妹からお金を借りていた。

 

母が父のあまりの浪費に口うるさく言うようになっていたからだった。

私ですら、母にお金の話をするのは嫌だった。

怖いのだ。たとえ必要経費であっても。

気持ちよく出してくれたことはなかった。

 

母に断られると

大抵私に

 

父親「お金ないから仕事に行けない。」

 

そんなことを言われたら

出すしかないじゃないか。

 

私や妹はまだ子供で生活はそれでも父親の給料で賄われていたのだから。

 

母には言えなかった。

 

お金を貯めても大抵は父親に渡し

それは半分ほどしか帰って来なかったので

貯金することはバカバカしくなっていった。

 

言いたいことは言えない家族だった。

 

お母さんのようにはなりたくないと思いながらも

 

なにもしない父親とそれに気づいて早々に家族を放棄した妹に挟まれて

 

 

私だけでも母の手伝いをしなければ

家族はバラバラになってしまうと感じた。

すでに家族は崩壊していたのに。

 

 

そして私は母のようになりたくないと思いながら

母のように動くようになっていった。

 

母が一人で家計のためにパートをし

母が掃除・洗濯をし

母が料理をする。

 

可哀想なお母さん。

私だけは手伝わなければ。

 

それが私を突き動かしていた。