こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

過去からの負の連鎖① 母方の祖父

 

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 前回の姪の件で、

家族が怒ると怯えたり、

そわそわするのがなぜなのか分かった気がした。

 

それは、多分、過去からの連鎖だった。 

 

 

↓ちょうど参考になる記事なので目を通してもらうといい気がする。

 

DV をする人たちも、その思考の根底は同じだと感じた。

これは、DV までいかずともすぐにイライラしたり、いつも不機嫌な人たちも同じだと感じる。

 

程度の問題で、根底にある感情はみな同じだ。

 

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 “また、父親は不機嫌オーラを出して家族に気遣いを強いていたという。

父親は口より先に手が出る人で、

自分の思いどおりにいかないとすぐにむくれた。

まさか自分が同じようになるとは思ってもいなかった。”  

 

一部抜粋。

 

これは、うちの両親にも当てはまる。

 

父も母も不機嫌オーラに晒されて育っている。

そして、私や妹も同じだった。 

 

 

 幼い頃から不機嫌なオーラに支配されて育つと、支配するか支配されるかの二択の精神構造ができあがるのだ。

 

どっちに転ぶかは、その人の素質によるものが大きいだろう。

 

 

そもそも父も、母も、

 

怒ると怖すぎる父親、つまり私にとっては祖父(すでに他界)がいた。

 

 

両方とも怒ると本当に怖かった。 

 

 

まさに雷が落ちるといったかんじで、サザエさんの波平さんなど比ではなかった。

 

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小学生の頃、

母方の実家でいとこたちと共に祖父から勉強を見てもらったことが1度だけあったが、二度と嫌だった。

 

大泣きして私だけ2時間で根を上げた。

 

怖すぎて無理だったのである。

 

逐一見張られているような、イライラした張り詰めた空間で勉強などはかどるはずがない。いつ雷が落ちるかと気が気ではなかった。

とにかく私はその緊張感に耐えられなかったのだ。

 

 

それでも後々いとこたちから言わせたら、アレは怖いうちに入らないとのことだった。

 

 

祖父は、

いや、祖父たちは、

戦争をしてきた人たちだったから、

見たくないものをたくさん見てきたのだと思う。

それは、大変な時代だったはずだから。

 

 

母方の祖父は、フィリピンの激戦区に送られたので一緒に行った同じ村の人たちの中で帰って来られたのは祖父を含め3人だけだったと聞いた。

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そんな経験をしたら息子や娘が軟弱に見えてイライラするのは半ば当然だったかもしれない。

 

 戦争から帰ってからは村一番貧乏だったから、昼も夜も働いて大きな家を建てた。

祖父は我慢強い立派な人だったのだ。

 

 

 しかし、そんな祖父をみんな恐れていた。

 

部屋に入ってくると空気に緊張が走るし、無駄口を叩ける人は一人もいなかった。

彼自身、いつもピリピリしていて、周りは腫れ物に触るような扱いだった。

 

 

 私も怖かったから、 

田舎に行くときはおじいちゃんから

出来るだけ遠くの席にすわるようにしていた。

 

 

 

しかし、驚くことが1つある。

 

そんな父親を見て育った伯父は正反対な人になった。温厚で怒るということがない。

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彼は父親のそう言った言動や行動を反面教師にしたのだ。

 

 

「父ちゃんのようになるのは嫌やった。」 

 

そう言って、それを実行した伯父は本当に立派な人だと思う。

 

反面教師にする。

 

それはよく聞く言葉である。

 

しかし、それを実行できる人は果たして何割なのだろう、と私は思ったのだった。