ワーカホリック(仕事中毒)の波動的考察②
ここ数日、久々にその場に入って役者になったような感じで体感をやってみると、気づきがたくさんあった。
↑前半はこちら。
まず、仕事中毒(ワーカホリック)になるのは平日の激務により休日に無気力が襲ってくること。
体感・波動で言うと無理やり低い波動に平日の間中合わせるため休みの日は通常の波動に戻そうにも合わせることができなくなるためと感じる。人は案外、家族や仲間、家具や地域といったものの波動に支えられている。それがいちぢるしく自分の波動から離れたものになり、そう言ったものに囲まれる時間が長くなると自分の波動がおかしくなりだす。それが鬱だったり、精神的な不安定さにつながるようなのだ。
要するに平日、強い緊張状態の波動に長い時間触れることで休みの日のリラックスした波動にチューニングがうまくできなくなるのだ。
こういった事態は実家を離れて一人暮らしを始めたり、新卒で自立して生活しだすタイミングで起きやすい。というのも金銭的に自分のチカラで生きる必要が出だす時期は身の回りの品を安いものでまかなったりする機会が増えるし、コンビニやファストフードが増える。それらは敏感な人たちにとっては今までの波動から大きく外れるため人によっては波動が揺らぎやすくなり精神が不安定になることも。
そんな時期に激務になると休みの日は何をしたらいいかわからなくなる。
というのも、緊張状態の波動はかなりサイクルが早い。簡単に言ってしまうとゆったりしたリラックスの波動が大気だとしたら緊張状態の波動は台風のような感じになる。
一日中緊張状態の続く仕事をそれに例えると。
ものすごい台風にさらされるのが5日間続き、急に土日2日間大気にふわふわ浮かされたような状態になったところで台風まみれなため自分自体もミニ台風のようになってしまっているためリラックスの中に置かれてもリラックスができなくなる。
仕事は責任感からしっかりやる反面、会社のサイクルが早い波動(低い波動)に合わせるため終わると疲れ果てる。土日2日間休みを取って通常の波動に戻そうとするものの戻る前に月曜が来てしまい仕事以外の波動に合わせられない状態が延々と続いてしまう。(アドレナリンがでつづけているような状態が長期間に渡って続く。)
私自身の体験から見ても、合わない波動に居続ると結果、元の状態がわからなくなり鬱になる時間が長かった。
実際にその状況をやってみたが週5で緊張状態に置かれると土曜日だけでは元の波動状態に戻れなくなる。決まってやっと元の波動に戻り出すのが日曜の15時あたりだった。翌日はまた仕事なので低い波動にどっぷり浸かり完全におかしくなった状態から全く抜け出せなかった。
そのため休みの日も仕事のことばかり考えてしまうし、そもそも休んでいてもリラックスが出来ず何をしていいかわからない。仕事の波動にチューニングがあっているため休日はただただ無気力な場合もあるが、リラックスに波動を合わせられないことが主な原因だと感じた。
休みの日は疲れから無気力で何をしていても手持ち無沙汰であり、リラックスに合わせられないためぼんやりする以外やることがないためせめて自分にできることは…あ、仕事なら出来る!早く仕事に行きたい!となる。
↑よく考えるとやばいのだけれど、しっかり分析するとこれ以外浮かばない。
ワーカホリックに陥る原因はそれだろうと私が波動的に体感した限りはそうだった。
また、仕事人間の周りは仕事人間ばかりが集まるため変だと気づけない。
仕事ばかりする人は周りもおなじように仕事ばかりしていると思う。お陰でみんなそうだから違和感も感じないし、実はそれ以外の人生があることに気付きもしない。仕事のしすぎて身体を壊してもなお責任感から仕事を死ぬまでする人もいるけれど、実は仕事から離れるとなにをしていいかわからないのが一番の理由だと思う。仕事をしているときはアドレナリンがでているような刺激的な状態なのでとにかくスリリングだし生きている!という感じになる。反面休みの日の無気力とリラックスに切り替えができない状態になるのだ。
最初は台風に呑まれたときの衝撃や違和感で仕事中にかなり疲れるのだが、慣れてしまうと自分の波動もミニ台風に変化してしまうため波動がそうさせているのもある。
人間だけが魂を進化させるために周波数を変えられるからだ。しかし、それはいい方にも悪い方に目変えられる。
作業効率ばかり考え、重要視するようになるとどうしたって歪みが生まれる。最短で、合理的にと効率を重視すると、優しさがまず欠落する。優しさは非効率だからだ。そして、さらに効率化を重視すると愉しもうという感覚がわからなくなる。効率と愉しみは比例しないのだ。
愉しみも優しさも、効率が悪い場所にほどよくある。
ワーカホリックは、波動が悪い方に変化してしまったために起きるのだ。都心部は仕事が忙しすぎて心を病む人が多い。気が下がりすぎてしまう場所が多い反面回復させる場が極端に少ないのだ。ワクワクしたり魂が喜ぶことをすれば自動的に回復できるのだが、それが出来ないほど下がってしまうと自然や森、海、太陽の力を借りないと回復出来なくなる。しかし、そんな自然が都心部は圧倒的に少ない。
昨日、実は温暖化の話をテレビで見ていて炭素を吸収できないほど地球は飽和状態を迎えている。その影響でスコールや台風、熱中症やオーストラリアの山火事など異変が増えてきていると言ったものをやっていた。
温森林や自然が破壊されることは温暖化だけでなく人間の波動調整もうまくできなくなることを意味している。太陽や植物、自然は心のエネルギーである気を提供してくれている。人間は文明がどんなに進んでも自然から離れたら生きられないと思う。
もちろん一部思い通りの人生を歩んでいて自分の魂が喜ぶ生き方をしている人たちは自分で心のエネルギーを生み出せるため平気かもしれない。でもそんな人たちはまだまだ一握り。それ以外の人たちはどうなるのだろう…?心の病気がコロナをきっかけに増えてきていて精神的に不安定になりやすい人も。
この地球世界は目に見えることが半分、見えないことが半分で成り立っている。目に見えることだけを重視していると真実は見えない。心の健康に目を向ける時代になってきている。