私の考察・『神官』が『穢れ』を嫌う理由。霊感の話。
何もかも、最後は収まるところに収まる。今日はまたまたわけのわからない話。
あー、なんか最近神官なれそう。笑。
先日、CSでたまたまやっていた『暁のヨナ』をテレビで観ていて、イクスになれそうと思った😅イクスは、神官さま。神官とは神のお告げを王様に伝えてまつりごとに活かす人たちのことを大体言うと思う。
神官は、昔から宇宙と繋がってメッセージを下ろしていたんだろうけれど、正直隔離してもらって生きないと今よりずっとキツかっただろうなーと思う。(だから王宮とかにいるんだろね。)誰かに庇護してもらえない場合は山奥にいただろうなとも思う。
魔女にも通じるものがあるかな?その辺を私的考察をしてみようと思う。アニメ好きは読んでみてね⭐️
そもそも、『神官』として宇宙と繋がるような人たちは常識や思い込みがあまり無い。
宇宙と繋がるには調和が重要になる。
常識や思い込みに囚われた状態では宇宙のエネルギーがスムーズに流れない。それだと宇宙と繋がれないので神官として役に立たないだろう。また、意地悪な人が神官の場合それは確実に偽物だ。繋がってる場所が悪霊とかだと思われるし、人に意地悪するような低いエネルギー状態だといいものには繋がらない。(エネルギーの法則を照らし合わせてみればわかる。)
性欲があまりにやばいとそっち系未練の霊が集まり、憑いてきた霊の力もあって犯罪に走ったりする。
同じ波長は霊でも引き合うからだ。憑かれたところで理性がしっかり働けば抑えられるためそのうち霊はどっかにいってしまうが、悶々と、し続けると本能に負けて痴漢したりする。
魔が刺したはまさにソレ。
とはいえ、そもそも実際みんな人は元々宇宙の一部なので、思い込みを解放し、理性を優位にすればするほど宇宙と調和した状態に戻る。
宇宙と調和すると、自然や植物・動物の気持ちもなんとなくわかるし、異変にも敏感になる。
違和感を見つけるのが上手くなるのだ。動物は常にその状態なので地震や津波が来る前に異常行動をとったりするのだ。感覚でわかってしまうというわけ。
実際人もこの状態になることは可能で『神官』と言われる人たちやちゃんと修行した僧侶はこの状態と思われる。ちょっとストイックに自分を追い込んでいけばなんてことはない普通の人でも『神官様』と同じような状態に達する。実際インドにはたくさんいそうと思う。
この調和した状態とは、大気に溶け込んだような感覚になる。第六感と言われる霊感の周波数だ。
霊感を持ってる人がチャンネルを切り替える感じと言っていたのを聞いたことがある。確かに言葉ではうまく言い表せないのだが普段とはちがい明らかに霊感は周波数を変える感じだ。私はいなくなり、大気と一体化、無になる感じ。大気と一体化する感覚というのが一番しっくりくる。(ワンネスは霊感の高次な周波数に合わせた状態のことで『神官』や卑弥呼は多分それに合わせてお告げを降ろしていた。)
霊が見える霊能者は霊の周波数に上手く合わせることができる人たちなのだ。(私はなんとなくわかる程度で周波数を合わせられないから見えない。)
↑使うのは同じ『霊感』の周波数ではあるものの、繋がる人の『霊格』が繋がる場所を決める。神官になり宇宙からお告げを下すには自制心と忍耐力が鍵を握る。
どのチャンネルに霊感が繋がるかは、その人物の『霊格』がかなり重要になる。霊格が低ければ悪霊に繋がるし、思い込みや不安を解放して人に優しくし自分を高めれば高次元な存在や宇宙に繋がるからだ。キリスト様の起こした数々の奇跡も霊格が恐ろしく高かったため起こせたものと思われる。
さて、そんな状態なわけだが卑弥呼やイクスみたいな神官になると『穢れ』が苦手になる。
なぜか。それは、端的にいうと霊が集まってくる&感覚が鈍り頭が働かなくなるから。
巫女様に処女が好まれたのも同じ理由からだと言える。これについては後述する。
波動の低い場(人混みや雑踏)で宇宙に繋がろうと大気に溶け込んだら、大変な汚れた状態になることは誰でも想像が簡単につくと思う。雑菌だらけになるようなイメージ。
宇宙と繋がるエネルギーは軽すぎて波動の低い汚れたエネルギーが充満した場ではチャンネルを上手く合わせられないし、そこで周波数を霊感に切り替えると幽霊や低級霊が集まってくる。その場にいる霊は高級霊ではないからだ。
実際、スーパーまで歩く途中やたら天気が良くて太陽の調整力もあり波動が上がってしまうと、その間は多幸感がすごいのだがそのままお店に入る時はあまりのエネルギー差に対応出来なくなる。
大抵スーパーは人が多いので混沌としている。安いスーパーほどそうなのだが、お店に入った瞬間からソワソワ、ザワザワし(昔は下痢になってた)、それから首の後ろか背中から入って来られそうになり、入られた場合急激に不安になる。これがよくある流れ。多分私がまだ自分のエネルギーコントロールがうまくできないせいもあると思う。
あまりエネルギーが高くない場所や人の多い場では霊がたくさん集まっているのでそこで霊感を解放すると霊が集まってくるのはある意味当たり前なのだ。
巫女様に処女が好まれた理由も『穢れ』は悪霊に繋がりやすいから。
肉欲と言われる快楽に溺れやすいものは悪霊の温床になりやすいのだ。霊感が安定しないとやはり精神的に不安定になりやすいので見えないものに操られやすくなる。それは憑依体質と言われるものだ。
幸せな人は成仏して次の世界に行くのでこの世を彷徨うことはない。霊と言われる人々は、なんらかの未練があり、それは欲に根差していることが多い。
お金や宝石、タバコ、セックス、ギャンブル、薬などの依存性が高いものたちだ。中でも薬とセックスが本能に根差していることが興味深い。それらは身体(肉体)がないとできないので霊は欲に駆られた心の隙間に入り込んでもう一度体感するために集まってくるのだ。
なので、そういったものから距離を置くために神官が禁欲・巫女は処女等になったのは非常にわかりやすい。弱い心のタイミングでつけ込まれないように肉欲から物理的に距離を置いたのだろう。
言い換えれば、しっかり自分をコントロールできれば禁欲する必要はないのだと思われる。ただ、精神的に高まってくると物欲や性欲、金銭欲自体があまりなくなってくる気がする。物で心は満たされないと気づくからだろうと思う。
結局真面目な話になってしまい申し訳ない。
そんな理由から『神官』は『穢れ』を嫌うのだ。私が見るに、発達障害と言われる人たちはみなこの『霊感』の状態を正常な状態として生きている。生まれながらのワンネス世代なのだ。