無意識に意識がいくものは意味があるという話①
今日は〈なんだか気になる‥〉感覚は大事という話。
この話は、毎日忙しくて思考優位で感覚が鈍っているなと感じる人にぜひ読んで欲しい。
あれこれ考えたり思考を巡らせてばかりいる人は普段からあくせくしていてラッキーや幸運が入り込む隙が少ないという話を以前書いた。
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無意識は思ったよりすごくてなんとなくそんな気がすると感じていることは実はみんなにある。実はそれは閃きに近い感覚で、そこを研ぎ澄ますと直感的にわかることが増える。
実は感覚よりも思考に傾きすぎると、物理的な利点を探してしまい無意識を無視してしまう。すると結果的に感覚が鈍るため面倒なことが増える。感覚はよりシンプルに、楽に生きるためのアンテナみたいな感じなのだ。
私もこのことに気付くまで感覚より見栄や利便性・世間体を重視してしまい、結果面倒くさかったりなんだか大変なことになったりした。
わかりやすく言うと、
⚫︎雰囲気的にこの家が気に入ったけど(感覚)、場所が駅から遠いから通勤がな‥‥やはりやめよう(思考で判断)。
⚫︎この人が好きだけど(感覚)、収入が少ないからやめておこう(思考で判断)。
⚫︎こっちの石鹸が気になるけど(感覚)、ちょいダサいからオシャレなこっちにしよう(思考で判断)。
⚫︎こっちの歯磨き粉が欲しいけど(感覚)、高いから安いこっちにしよう(思考で判断)。
⚫︎この人なんだか嫌な感じだけど(感覚)、弁護士さんだし、多分いい人(思考で判断)。
これって結構みんな無意識にやってると思う。なんだか嫌だなーと思うけど社会的に地位がある人だから多分立派な人だろうとか、見た目がダサいと恥ずかしいから使い勝手は悪いけどオシャレな方にしようとか。
私も昔は世間体・見た目・人からどう思われるかを選択する時に取り入れてた。
実際はこっちがいいけど、でもなんだかみんなと違って恥ずかしい。それが多分スタートだったと思う。そこから自分の好きなものより周りの雰囲気や空気を読んでそっちを選ぶようになり感覚が鈍って訳がわからなくなった。個性的すぎたから。
本当はこっちがいいけど(感覚)、なんだか私が選ぶものは人と違っていて恥ずかしいからみんなと同じにしよう(思考)。
それを重視するようになってからなにが好きなのかさっぱりわからなくなった。人と違う感覚が恥ずかしいから流行を追うようになり、感覚は封印したのだった。目立ちたがりと親から言われるのも嫌だったし。(なぜか目立つ子だった。)そこら辺からは普通を追い求めていたように思う。
大人になってから言われた通りにしてきたのに全てが上手くいかなくなり、なんだか世間体とかを考えるのがバカらしくなり好きにしようと開き直った。
とはいえ、『なぎのお暇』みたいに、そこまでの人間関係や仕事など色々なものを全て捨てて生き直すことは私にはとても出来なかったのでできる範囲で立て直すことに。全てリセットしたい思いに駆られてこの時ほど自分らしく生きてこられた人が羨ましいと思ったことはなかった。
👩🦰〈正直、まっすぐに生きてこられた人が本当に羨ましい!〉
感覚が戻ってくると心の成長と相まって無意識の重要性が体感としてわかるようになった。思った以上に無意識はアンテナとして役に立つ。それは、前世からの経験値が蓄積されているのだから言ってしまえば当たり前なのだろう。
例えばスーパーでなんとなくにんじんが目についてかごに入れる。
とくに欲しいわけではないのだけれど、なんとなく目についてなんとなく気になるからカゴに入れる。ふと見るとパスタが特売で今日は安い。そうだ、家に確かピーマンあったなー。と思い出して今日はナポリタンにしよう。と思ってウィンナーを見に行くと激安!やはりナポリタン!といった流れ。
これは例えなのだけれど。
気が向いたり、気になるもの・なんとなく買っておいた方がいいかなというものは正解に近く、そこには流れがある。
よくあるのが、電気屋さんで乾電池が安いのをみてちょっと気になり買っておこうかな‥と思ったものの今度でいいか!と買わなかった。すると2日後くらいに電池が必要になり、
👩🦰〈あちゃ〜、あの気になった乾電池ここで使うからだったんだわ。〉
と反省する。そんな感じでふと気になったものや、なんとなくいるかなーと感じたものはその数日後に必要になったり役にたったりすることが多い。そんな〈ちょっと気になる〉という感覚を上手く取り入れるようになると日常のストレスは減るなと感じる。では、この感覚を研ぎ澄ますにはどうすればいいか。次回②に続く。