こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

魂から来るものは人の魂を動かす。テクニックより心を磨こう。

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謎の話。

先日、真剣に生きていると時代や流れが自分に合ってくると書いたのだが。

私の現在のパートナーは猫みたいな人で基本的に何も考えていない。インドア派で彼は仕事以外はほぼオンラインゲームばかりしている。

 

最近、彼はそのゲームの仲間の中で目的をクリアするために格言というか、ポエムみたいなものを目標として共有するようにしているらしい。彼はそのポエムをやる係らしく毎日毎日名言やことわざを探して私に言ってくるようになった。私は謎の流れができてかなりびっくりしている。

 

👩‍🦰〈普段何にも考えていない人が格言て何事?謎の場所からも追い風の流れができてきている!〉

やはり真剣に生きようと改めて思ったのだった。そして、今日の話になるのだが実は昨日、カフェで久しぶりにモヤモヤに遭遇した。

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テクニックなどの技術的な面ばかりが目立つ人にモヤモヤした。

隣の席に座った人が大学生相手に内観の重要性とそのやり方についての面談みたいなものをしていた。たしかに、大学生は自己分析を迫られるから内観は大事なのだろう。ちょっと懐かしいなあと思った。当時の私の自己分析、全くできてなかったな。。

 

🚹「実際、世界の人口の20%も内観をして自分の内面を見つめてる人はいないだろうね。それを世の中のサラリーマンの半分でもしていたら何にも考えてないバカみたいなヤツは減るはずだよ。」

 

大学生🚺「じゃ、私がこれを出来たら世界の20%に入れるんですね。」

 

その男性が内観に関して言ってることは、技術としては間違っていないのだ。(世界の20%の人しかしてないかは知らないけど。)が、なにか違和感🌀があり、思わず聴き入ってしまった。。。

 

違和感は大体、なにかしらの手がかりになっていて、なぜ引っかかるのか答えは心の中に隠されている。その違和感やモヤモヤの答えを自分の中に探すのが内観だ。(私は内観が趣味だから笑。)

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👩‍🦰〈なんだろう?言ってることは間違ってないけれどすごい違和感がある。せっかく内観できるのに、まずは自分の心の追求・開発に活かしていないのかな…?なにかテクニック先行で小手先感がすごい。しかも他人叩き…??

 

内観を技術として理解していても、それを実践して自分の内面の開発をしながら体得まで消化してないのだろうか?

 

内面を格闘しながら深掘りしないと実地のやり方がわからないから人には教えられない。そして内観はここで終わりみたいなキリがない。どこまでも違和感をヒントに答えを探し、自分を磨き続けられるから楽しいのだ。

 

そして、内観しない人を下に見るのもなにか違う。。。それはそれでありだから。そもそも、内観を進めたらもっと人に優しくならないか?私はやればやるほど人の弱さや辛さがわかるようになった。

 

なにより、体得してる人の言葉には重みがあるけれど、それがない人の言葉は重みがない。今回の違和感はそれだったのだ。

 

👩‍🦰〈真面目に自分と向き合って内観を体得してない人が人の問題と向き合えないだろう。モヤ🌀〉

 

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技術とテクニックばかり追求して、そこに心(魂)の鍛錬が伴ってない。

実際、内観を進めて自分の心を追求すると、自分が大したことはないことに気がつく。心の弱さやずるさを見ることが増えるからだ。非常に辛い作業が多い。しかし、人はみな同じなのだとわかるようになる。もしも私が素晴らしいならば出会う人全てもみんな素晴らしいということにも気づく。

 

目で見えることは不公平に写っても、実は平等。それは私も人も動物も木もなにも変わらない。そして考え方や人種は違っても、地位や名誉があっても貧しくても魂の価値は等しく平等なのだ。

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福沢諭吉

それが、福沢諭吉の言う、〈天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず。〉なのだろうと私は感じる。

 

私は人を見る時は見かけや財力、肩書きではなく魂や心を見ていたりする。というのも、内観を進めると見かけや社会的地位はどんどんどうでも良くなった。

 

見目麗しくて社会的地位があっても、とんでもなく汚い魂の人もいるし、逆に見た目は綺麗でなくて貧乏でも魂が素晴らしい場合もあるからだ。見た目はごまかせてもどうしたって波動はごまかせない。波動は心の状態に直結しているのだから、必然見た目はさほど重要ではなくなった。

 

そして、若いうちは特に見た目なんて全く当てにならないと感じる。みんな綺麗だから。年をとってきたら生き方が顔に出るというのも大体当たっている。

 

地位や名誉、マンションの階層で争うようなことがどれだけ無意味か。そんなの競う人で魂が素晴らしい人に会ったことない。。。人と競うより自分と戦って心を磨いた方がずっといいのだ。 

 

人を魂としてとらえると。

現在ひどい苦労している人が実はものすごい勢いで魂を成長させているケースは少なくない。それは物質的な側面だけで見たら可哀想かもしれない。が、心の成長という側面から見たら色々なものが足りない場所に置かれた人の方が恵まれた人よりずっと成長しやすいのだ。苦労に負けて腐らなければ魅力を身につけやすい環境を頂いていると言える。なにもかもが満たされた環境にいて魂の成長がしやすいと言えるだろうか?

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ボヘミアンラプソディーがあれだけ流行ったのは。

フレディ・マーキュリーが苦しみながらも本気で生きて、その本気を歌に込めて歌ったからだ。フレディの魂から来るものが見る人、聞く人の魂を揺さぶるのだ。

 

そしてそれは特に本気で生きる人の魂に響くのだ。お互い本気だから共鳴するといった方がいいのだろうか?魂からくるものはダイレクトに相手の魂に届く。

 

それはテクニックや技術ばかりを追求する人には絶対に行き着けない境地だろう。多くの人々の心に影響を与えて残るのだ。美空ひばりがあれだけ流行ったのも同じことが言える。彼女の歌も魂が込められている。

 

有名な絵画や写真にも言える。魂込めて作るとそこに魂の煌めきが入るのだ。それが見る人の心を魅力する。

 

テクニックよりも全ては魂なのだ。

本気で生きる人が輝いて見えるのも魂が輝いているからなのだ。魅力をつけるには心を磨くしかない。気づいてしまった人は今日から本気で生きよう。魅力がどんどん輝きだしてあなたの輝きが人の心に影響を与えるのだから。