こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

やってみた☆知らないうちに試験に強制参加→大抵落第を繰り返してる話

これは心の成長を決めると見えてくる話。

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実は大抵の人は気づいてないが、この世界は生きているだけで勝手に試験に参加するようになっている。そして大抵みんなそのことに気づくこともなく落第を繰り返している。

 

👩‍🦰〈うーん、残念。大抵試験があることすら気づいていない。〉

 

次回はパスできるように今日は詳しく説明してみようと思う。そう言う目で見出すと、気づくことがどんどん増えるようにできている。

きっかけになった話を書いてみる。

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ある日決めた。もう愚痴を言うのは絶対やめよう。

父方の実家が悪口三昧だったことは以前書いた。物心ついた時には、愚痴・不満・悪口・批判にさらされて生きていた私は、周りは愚痴を言う人で溢れていた。

 

いつも聞かされて体調は悪かったし、聞いても楽しくない話を聞き、結果帰ってから家族にそのことを話す(愚痴を言う)。みたいなループが完全に完成されていた。しかし過去世が開いたのをきっかけになにがなんでも人生を立て直そうと決めた私は最初に愚痴・不平不満・批判を本気でやめようと決めたのだ。

父方の身内の不運も全てそこに関係しているように思えたからだ。

 

そうではないかと推察してやめようと思う頃から愚痴はよくないみたいな話を友達から聞いたり、本屋さんで平積みされてる本がタイムリーに愚痴をやめて幸せを手に入れるとかだったり、とにかく聞く機会、目にする機会が急激に増えたのだ。

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気づきなさいよ、とたくさん通知がきていた。

わかりやすいお知らせがきていたことに気づく。

ちょうど斎藤一人さんの話で、人には割とお知らせが来ていて、なにかをしだすとそれについての情報が目についたり、テレビでやったりと気づきを促していると言うようなことを言っていてこれのことか!と納得したのだ。

一人さん曰く、一つのことに熱心に取り組みだすと取り組み出して半年後くらいにそれをどうしてもやらずにはいられない出来事が起きるとのことだった。

 

つまり、私の場合だと

 

愚痴はもう言わないって決める

とにかく言わないで半年がんばる

半年後

本当に言わないかな?ちょっと試してみよう。(すごい愚痴を言いたくなる現実が頻発する。)←これが試験☆

言わなかったら、合格☆

言ったら、不合格によりまた半年後までやり直し。

 

と言う流れのようだった。 

👩‍🦰〈決めたし、言わない。絶対に。〉

心に決めて愚痴の根絶をスタートした。

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とはいえ、スタートするとうんざりする日々。

周りが愚痴三昧な中、こっちは一言も言わない(言えない)のだ。これは本当に思い返してもかなりハードだった。聞いてるだけで嫌なのに、同調するわけにもいかずひたすら笑って聞きながす日々。

私は絶対絶対愚痴は言ったらダメ。はじめの頃は本当おかしくなるかと思った。たくさん愚痴を聞かされるのに言えないんだからゴミは溜まる一方で最悪。

一人カラオケで発散していた。(もちろん愚痴は言わない。)

とにかくハードな半年を耐え抜いて、半年〜1年くらい経った頃。愚痴はもう聞き流すようになってきていた頃。

試験が訪れた。

もう愚痴というか、文句を言わずにはいられないことが3カ月くらいに渡り頻発し続けた。

 

👩‍🦰〈どう考えたってそれは理不尽だろう!〉

と思わずにはいられないことの連続。

 

結果・見事に落第した。笑。

 

思った以上に愚痴の根絶は大変なのかもしれない。

そこで、次の半年はただただ愚痴に耐えるのではなく、感情の解放を一緒にやることにした。

愚痴をたくさん聞かされてイラついたときはとにかく感情を解放。それをひたすら繰り返した。解放・解放・解放。

 

しかし、それでもハードな試験にまたしても半年後落第した私。本当にここから抜け出せるのだろうか。

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落第してばかり。

どうしたもんかと頭を抱えたが、そこまでに愚痴との戦いはすでに2年近くが経過していて、冷静に見ると、愚痴を言う人は始めた頃より半減していたのだった。

多分あと少し!

愚痴は言わない、聞いてしまったら感情の解放、そして嫌な話になったら離席、幸せなものを積極的にみる、暗い話とは距離を置く、どうしようもないときは思考停止。

これらをさらに加えて半年後また試験が訪れた。

ついにその時が来た!

半年近く愚痴に晒される覚悟はできていた。

とにかく感情的にならない。聞き流す。

愚痴との戦いは3年目に突入していて、もう言わないのは板についていたし聞き流すのも慣れたものだった。

愚痴を聞かされたり批判をされ続け、理不尽すぎてありえないことが頻発した。

(例えば、正月のセール初日なのに、派遣されていったら担当者が風邪でダウンして来ず。一人で勝手のわからない中バタバタだったのに、翌日来たその人謝りもせず売り上げ悪いって逆ギレしたからね。本当意味不明。)

 

そんな試験が大量にあって、合格したのかわからないままになった。

でも時間は過ぎて、4年経った今、愚痴を言う人はもう周りにほとんどいなくなった。

 

というか、私が愚痴を愚痴だと認識しなくなったと言う方が正しいのかもしれない。

 

多分テストは合格したのだろう。

今非常に快適だ。

 

なにかが気になって改善や、成長したいと思った時に目についたり何度も聞くことは宇宙からのヒント👂の可能性が高い。

 

その視点を押さえるだけでも気づきは増える。