苦手な人が二度と現れなくなる☆威圧的な上司に出会ったので一番やりたくないことをやってみた①実践・鏡の法則
選択を変えると変化が生まれ、人生の方向性が変わる。人生の舵を自分で取れるようになるという。
人は変化を嫌うことの方が多い。
でもあえて変化を選択してみたらどうなったかと言うことを今日は書いてみる。
20代前半、新入社員で働き出したばかりの頃のこと。
お世話になったお店が社内でも店長が強烈で有名なところだった。なぜ私が選ばれたのか?
わりとどこでもうまくやれそうなキャラクターだったからだ。
その店長は気分屋で、部長より年上だったこともあり誰も口出しができない大ベテランの人で初老に近かった。
あの人に匹敵する我が道を行く人を私は知らない。
8月の異動を経て私は半年そこでお世話になったのだが、本当に強烈なキャラクターの人で
百貨店の人も何十年もいるものだから誰も意見を言える人がおらずみんな閉口といった感じだった。
私がいた半年の間に、最短の人は5日でやめた。2週間でいなくなる人が平均だったのだからそこで半年働いた私はかなり頑張った方だと思う。
人が寄り付かない店だったのだ。
彼女は盗難をやたら気にしていた。
朝と夜の因数点検にこだわりスタッフに何度も数えさせる。それで翌日自分が出勤の際に数が合わないとキレるのだ。朝店長から電話がかかってくる。しかし大抵は店長が売ってからその数を引き忘れていたりと勘違いのことが多かった。
もちろん私は怒られ損。
👩🦰〈ひー。当たり散らされた😢〉
破茶滅茶な人で時間には出勤して来ないし、
ある月は私の休みをギリギリまで削り月に4日休みになった。さすがに倒れるかと思った。しかも人がいないから一日中私は店にいた。変になりそうだった。(翌月さすがに法律は守ってくださいと営業から怒られていた。)すぐ人が辞めるからほぼ毎日私と店長の二人で、休みを他店からのヘルプで回していた。店長の機嫌が悪いと一日中無視されるので疲れ果てる。一日中考え続けるからだ。
👩🦰「すごい機嫌悪いけど、私なんかしたっけ😭?」
初めての決算棚卸しの日はやり方を知らない私を一人おいて任せたとさっさと帰宅した。
23時までに棚を送信しなきゃいけないのにやり方がわからず、館の電気が消えてみんな帰った真っ暗な中、泣きながら時間ギリギリにわからないながらも諦めてデータを送信した。
もちろんあってるはずもなく翌日鬼電がかかってきて店長から激怒された。
👩🦰「アレ?ここ日本だっけ?」
と思うほどの無法地帯だった。
誰も助けてくれず、何か店長は部長やら営業やらの弱みを握っているようで誰も口答えができなかったのだ。
私も我慢に我慢を重ねて理不尽な状況に耐えて耐えて。我慢の限界で本社にブランド異動を願い出て半年後やっと解放されたのだが、本当に最後の1ヶ月は彼女からさらに毛嫌いされて吐きそうになりながら働いた。忍耐力だけは異様にあるせいで。。。
👩🦰「食欲全くわかない。吐きそう。。。あと2週間で終わる。我慢我慢。」
最終日挨拶するのも、顔を見るのももう限界なほど嫌だった。が、最後に挨拶しないのは人としてありえないという思いから頭を下げた。
👩🦰「お世話になりました」
店長「たくさんお世話しました。」
👩🦰〈…絶句😵〉
そんな感じで威圧的な人が私は昔から大の苦手だったのだ。
怒られるのが本当に嫌だったのだ。
事なかれ主義で空気みたいに過ごす。
それは幼少期の影響だった。
その時は全く気づかなかったが、
怒られたくなくて威圧的な人の顔色を伺うのがクセになっていた。
その場を我慢してやり過ごす。
👩🦰〈ご機嫌とりをして出来る限り相手の思う通りに動く。数時間我慢したら解放されるから。〉
その考えの元いつも我慢していた。
終わるころには気を使いすぎてヘトヘトで3日続くと翌日の休みは寝込んでいた。
嫌なのに、その後も私の人生にはそういった威圧的な人はちょくちょく現れそのたびに理不尽に耐えて謝るのがクセになっていた。
👩🦰〈数時間我慢したら終わるから我慢我慢。〉
ところが、猫と彼の一件があってから私は少し変化していて〈理由があることは必ず原因がある。〉と気づいたこともあって毎回当たり散らされるのにじっと耐えるだけは私にも原因があるのではないかと思ったのだ。
よく考えたらその20代前半の破茶滅茶店長以降、5人はそういった人の下で苦労していて
👩🦰〈でも私、よく考えたら行動変えてなくない?10年近くも同じこと繰り返してる😱
えっバカ!?〉
と気付いたのだ。
②に続く。