こころのこと。

人生ハードモード。親ガチャを盛大に失敗した私の回復記録。笑

昨日のこと。

 妹一家が家を購入することになり、母親が見たがったので時間が合わない母の代わりに私が写真撮りがてら見に行くことにした。

 

思い返せば、家族はもちろん、親族もあてにならない人たちの集まりだったので、母が頼るのはいつも私だった。なので今回も私が行く流れに。

 

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新しい家っていいなー。

私も引っ越したい。

 

そんな中、自宅を買うのに、全てに無関心な妹がいた。

 

 

暑い、疲れた、帰りたい、みたいな感じで、収納や、玄関の広さ、靴箱のサイズ、傷がないか、日当たり等、本当に興味がなさすぎてすごい。

 

隣で色々聞く私の横で、妹が

 

「人の家なのによくそんなに興味がもてるね」

 

と呟いた。

 

そもそも妹の旦那さんが、家が欲しいとずっと言っていたのだが妹が本当に無関心なので、一人で物件探し→半月前一度内覧→決まり と、一生住むかもしれない家(35年ローン)なのに彼女自身は二度見ただけで決めた。

 

 本当に全く興味がないのだ。

 

でも、この現象は、数年前までの私にも言えることで私自身も本当に色々なことがひたすらめんどくさくてどうでも良かった。

 

仕事などは生きるために必要だからするしかないのでフルでしていたが、仕事でいっぱいいっぱいだし、他のことなどどうでもよかった。娯楽らしい娯楽もよくわからなかったのもある。

 

親は本当に私たち子供にお金がかかるのを嫌がる人たちだった。

 

今思い返せば、何故あんなにお金がなかったのか。

 

たしかに父親は仕事が長続きしない人だった。

 

でも、少なくとも私や妹みたいに親が貧民街の住人ではない。笑。

 

 

しかし、幼いころ私たちが、長期休みで行く場所は両親の実家のどちらかでありそれ以外でどこかに連れて行ってもらった覚えがほとんどない。

 

小学生4年生位の時、恐竜が好きで、どうしても夏に幕張の恐竜展に行きたくて親にお願いしたのだが、お金がないからと断られた。

 

それを、母方の祖母がひどく不憫に思い、一万円くれて、なんとか連れて行ってくれたのが行きたいところに連れて行ってもらった唯一の思い出だ。

 

 

 ある程度大人になってから、多摩テックに都心に住んでた友達たちが小さい時よく連れて行ってもらったと聞いたのが本当に衝撃だった。

 

 

私も妹も、すごく近くに住んでいたが、連れて行ってもらったことは一度もなかった。

 

それは多摩テックが閉館するまで続いた。

 

 

 

また、割と近くに、当時話題だった巨大迷路もあったが、そちらも閉館するまでついに連れて行ってくれることはなかった。少なくとも、5、6年くらいは営業していた気がするのだが。。。

 

 

 

合言葉は、いつだって、

 

「うちは貧乏だから。」

 

「うちは、お金ないから。」

 

だった。 

 

 

 とはいえ、父は割とパチンコには行っていたし、レンタルビデオは結構借りていた記憶がある。

 

 

そんなこんなで貧乏脳はしっかり遺伝したし、お金がないからできないは後々まで私を苦しめた。

 

 

 

私や妹にとっては、親は助ける対象でしかなく

決して助けてくれる人たちではなかった。

 

 

そんなこと、ある程度の年齢には私たちは悟っていた。

 

 

そんな背景もあってか、そんなに人が頻繁に旅行するものだとも知らなかったし、

 

人が海外旅行に行ったと聞いても私には行けるはずもないので関係ないと思ったし、

 

 

そもそもお金がかかるし、

 

 

体調も崩しやすく、

 

 

夏はいつも熱中症が怖かったから外に出るのも億劫でほとんど全てのことが嫌だった。

 

 

25歳の時には、本当に親の入院費や、葬式代や、墓石が買えるかを心配していた。

 

 

 

楽しくもない人生、でも仕方ない。

 

死ぬまで生きる。

 

 

 

それだけだった。