最近感じるもどかしさ。
セミが歩いていた。
ここ数日、家族にちょっと色々あって疲れていたのだけれど…。
ざっくりとしているけれど、全てのことは愛の欠乏感から始まっているな…とつくづく思う。
幼い頃妹とケンカばかりしていたのを今、甥と姪を見ると思い出す。
あのケンカも、今思い返すと「お姉さんなんだから我慢しなさい!」と妹ばかり親から庇われるのが悔しかったからだ。
その悔しさや自分が可愛がられないもどかしさからひねくれたし、いつも妹とはケンカになった。今、甥と姪が同じことを繰り返している。
ケンカになると末っ子の姪は大人から庇ってもらえるのが当たり前になっていて、それによって生まれる不公平感から二人の仲が悪くなることもわかっているので私自身はどちらかを贔屓することは絶対にしない。二人とも平等に扱う。
溜息が出ることに、この負の連鎖を私たちから下の世代も知らず知らず受け継いでいる。
妹と私がしてきたことをそのまま姪たちがしてることに嫌になってしまう。だって、姪ばかり庇う妹は多分、来世甥のかばわれない寂しい立場を体感するだろうし、姪も自分が贔屓されて庇われたことに気づかず自分も大人になったら同じことをするのだ。
それは、姪が来世また甥の立場を体験することになるだろう。
なんとかしたくても目の前でそれが展開されていき、どうにもならないもどかしさ!
少しでも改善されるように、私と妹が辿った道を歩まないように、二人の子たちがケンカになったときは二人ともが選べないくらい大事なことをしっかり伝えるように向き合うようにしている。(私にできることはそれくらい。)
愛されないという想いが世の中をおかしくしている。
マザーテレサが世界平和のためには家に帰って家族を愛しなさいと言ったのが本当によくわかる。自分は愛されている、大事にされていると思えたら世界の苦しみの半分以上は減るだろうと思う。
今日、疲れ果ててやさぐれた彼が帰宅したので抱きしめて頭をいい子いい子したらそれだけでご機嫌に。「ご飯作ってくれてありがとう。」といつも言わないようなことを言って寝た。
それは、甥にも言えていていつも姪が優先されるところを二人とも平等にして偉いね、大事だよと頭をなでてあげるとご機嫌になる。
愛されている、大事にされているという想いはそのくらい大切なのだ。
あーあ、父も大変な人たちもみんなみーんな抱きしめてヨシヨシしてあげたい。大事な存在だよって言いたい。
そしたら少しはみんなの中に愛が満たされるのに。
でも、それは地球でやったらおかしなことになるから。あーあ、地球って面倒くさい。